「北方領土が返還されない」のは、なぜなのか 8月15日を終戦日と思い込む日本人

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ソ連軍が北海道占領をあきらめざるをえなかったのは占守島を始め、各地で日本軍が激しい自衛戦争を敢行したからである。この事で予定が遅れ、その間に米軍が体制を整える事ができた。トルーマン大統領は、日本本土はすべてアメリカ軍の占領下に置くとし、それに応えてマッカーサー連合国軍司令官がソ連の要求をはねつけた。そのため、ソ連は8月22日、ついに北海道占領計画を断念せざるをえなかったのである。

その一方でスターリンは千島侵攻を命じ、樺太から大部隊を派遣し、8月28日には択捉島を占領。9月1日には国後と色丹島に上陸。9月2日には歯舞諸島侵攻作戦が発動され、9月5日、無血占領に成功。これによって全千島を占領する事となったのである。この間、北千島とは事情が大きく違っていた。北方4島では日本軍による自衛のための防衛戦闘が行われなかったという点である。

北方4島で抵抗をしなかった日本

ここに至る過程でわれわれ日本人が留意しなければならない問題がある。それは、北方四島にソ連軍が侵攻してきた時、日本軍も住民もソ連に全く抵抗しなかった事である。

日本全土がB29の無差別爆撃で焦土と化し、食料もなく、絶えず空襲による死の恐怖にさらされている当時の状況下では、表面上はともあれ、日本人の心の奥底には、どんな状態であっても一刻も早く戦争が終わればよしとする厭戦気分が蔓延しており、8月15日で戦争が終結したと思い込むのは自然の感情であった。

だから多くの国民は8月15日の意味を理解せず、9月2日をほとんど考慮に入れないのが普通であったろう。が、冷徹な国際法の観点からすれば、ソ連軍の攻撃に全く抵抗しなかったのは戦闘放棄であり、日本が降伏調印をする9月2日まではソ連の行動は合法であった。

したがって日本も自衛のために9月2日までは防衛戦闘を行う権利があったのである。

この点からすれば、ソ連の北方領土占領作戦のうち、歯舞諸島に関する戦闘行為は、日本が降伏調印した9月5日まで続いたから、9月2日から5日までの3日間はソ連の軍事行動は不当であり、不法な行為とみなすべきである。

いずれにしても、戦闘放棄とみなされかねない日本の行為は、国際常識に照らし合わせると北方4島は日本の領土であると主張する日本側の論拠を弱める歴史的事実とされるのだ。北方領土が日本固有の領土なら、ソ連侵攻の時には血を流して抵抗するべきではなかったのかという批判があるからだ。

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