新国立競技場計画を迷走させた「5人の男」 すったもんだの末、白紙撤回

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2年後に始まった再度の挑戦で、JSCは20年五輪に用意するスタジアムは建設費1300億円と決める。今と比べるとつつましく思える額だが、当時の常識を突き抜ける大盤振る舞いだった。ところが翌年に国際コンペが行われ、ザハ・ハディドの案に決まると工費は3千億円超に膨らんだ。

デザインが奇抜、工事が複雑、資材費が高騰……。理由はいろいろあるが、見落とされている問題がある。新国立競技場の規模である。他国の五輪スタジアムに比べ、けたたましく大きい。

ザハ案で延べ床面積は29万平方メートル。他国を見てみよう。12年のロンドン大会の競技場は10.9万平方メートル(建設費650億円)、00年のシドニーは8.1万平方メートル(同460億円)。他の先進国の主会場を三つ合わせた規模は、スタジアムの戦艦大和とでも言うべきものだ。弱いとされる交渉力を補うためインパクトの強いデザインが必要だった、という声もある。

実際「29万平方メートル」は宣伝用だった。東京開催が決まると、JSCはデザインを修正。カブトガニに似たスタジアムの尻尾の部分を切って規模を22万平方メートルに削り込んだ。それでもロンドンの2倍超。8万人収容は同じなのに、なぜ規模が2倍になるのか。ここに新国立競技場の謎が潜んでいる。

成熟国家らしい先進競技場に

12年3月、JSC理事長、河野一郎の私的諮問機関として「国立競技場将来構想有識者会議」が設置された。選ばれた14人の有識者の中に、コペンハーゲンで涙をのんだ3人がいた。都知事(当時)の石原慎太郎、元首相の森喜朗に鈴木。この3人と建築家の安藤、そして河野が中心となって新競技場の基本コンセプトが煮詰まってゆく。

「開催は神宮で」という基本線は石原と森で合意されていたという。これには都知事選が絡む。五輪招致に敗れた石原は4選に消極的だった。「知事になって五輪をやると宣言してください」と説得したのが日本ラグビーフットボール協会長だった森だ。

ラグビーはワールドカップ(W杯)を19年、日本で開催することが決まっていた。しかし、国際ラグビーボード(現ワールドラグビー)が求める8万人収容スタジアムが、東京にない。五輪という「錦の御旗」を立てて、国立競技場を建て替えようという思惑が見え隠れする。

「政治的な仕切りは森、基本コンセプトを描いたのは鈴木、実務の差配は河野、という分担だった」

事情を知る関係者は言う。河野は学生時代ラグビー選手でスポーツ医療に携わる傍ら、強化推進本部長を務めるなど、日本ラグビー協会に深くかかわり、森に引き立てられていた。

鈴木は旧通商産業省の官僚だったころから、政策通と言われていた。「1964年の五輪は工業化で復興を成し遂げた日本のハードレガシー(遺産)を残す意義があった。2020年は成熟国家にふさわしいソフトレガシーを後世に継承することに意義がある」鈴木はこんなビジョンを掲げ、新競技場をスポーツにとどまらずエンターテインメントや、ITを使った映像技術の発信基地にする方向で議論を主導した。

次ページでは、巨大建築物の中はどうなっているのか?
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