3男1女の「元モデル母」が拓いた再就職への道 子だくさんワーキングマザーの仕事論<5>

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学生時代、富山県で美大進学を目指していた山下さんは、東京の予備校に通っていた。ある日モデル事務所にスカウトされ、「そんな道もあったのか」と芸能活動に関心をもつ。しかし、モデルより俳優になりたいと「劇団ひまわり」に入団。TBSドラマ「積み木崩し」に出演する。ところがいざ演技してみると、セリフ回しもうまくいかない自分に直面。実力不足を痛感する。

「主演の高部知子さんの天才的な演技を目の当たりにして、自分は向いてないなと自覚しました。その後頑張っていくつかドラマや舞台に挑戦しましたが、伸び悩み。この世界を辞めようとしたところ、思いがけずモデル事務所から声がかかったので、ダメもとでトライしたんです」

はたしてモデル業が向いていたのか、水を得た魚のように活躍し、仕事が軌道に乗り始めた。折しも時代はバブル絶頂期。1本の報酬が100万円近くの仕事も多く、山下さんの年収はたちまち1000万円台に。ファッションブランドを始め化粧品、航空関係、食品、精密機器など、あらゆる業界の広告をこなし、手応えを感じた。当時、女性の結婚適齢期は24歳。山下さんも25歳で幼なじみと結婚したが、仕事は辞めずにそのまま続けた。

「予想外に早く第1子を授かったので、すでに決まっていた仕事をこなすために妊娠8カ月まで撮影をしていました。それでも安産だったので、私は意外に丈夫なんだと、産後1カ月で元の体重に戻して、すぐに現場復帰しました」

子育てとの両立を荒技で乗り切るが…

子どもが大きくなってくると、仕事を受ける範囲も大胆になる。ロケ撮影で宿泊を伴う日は、夫が朝イチの飛行機で子どもを連れて富山へ飛ぶ。空港で山下さんの実母に預けたら、9時出社に間に合わせるため、乗ってきた飛行機で東京へトンボ帰りという荒技で乗り切った。

第1子誕生からほどなく次の妊娠が発覚するが、山下さんは全国を飛行機で飛び回るキャンペーンの仕事を引き受ける。長男の妊娠中、同じ仕事をしていても母体に触りはなかったからだ。しかし今度は流産をしてしまう。

「ショックでした。生まれて初めてものすごく自分を責めました。子どもの死は、大きかったですね…」

家にいると鬱々としてふさぎ込んでしまうと、仕事に復帰。しかし何をしていても頭から流産のことが離れない。次の子を欲するまで、2年かかった。ようやく「長男にきょうだいをつくってあげたい」と30歳で第2子を、32歳で第3子を出産。すると山下さんの中の認識が大きく変わった。

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