井上礼之・ダイキン会長兼CEO--「あかんたれ」が空調世界一、人好き・帰属感・衆議独裁《上》

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井上礼之・ダイキン会長兼CEO--「あかんたれ」が空調世界一、人好き・帰属感・衆議独裁《上》

1992年春のこと。ダイキン工業3代目社長、山田稔は声を潜めて言った。「誰にも言っちゃいけないよ。決めてます。あなたに、いちばん近い人ですよ」。

そのとき、山田の前に座っていたのは琉球放送社長(当時)の小禄邦男である。ダイキンと琉球放送は女子プロゴルフトーナメント「ダイキンオーキッド」を共催する間柄で、「山田さんのお酒の担当はいつも私」。その気安さから、小禄が「次の社長はもうお決めですか」とそれとなく聞いた答えが、これだった。

私にいちばん近い人? 思い浮かんだ人物はただ一人。今こうしているさなかも「オーキッド」大会の裏方として走り回っているあの人、井上礼之(のりゆき)である。まさか。小禄からすれば井上は「(役員陣の)下から数えて3番目くらい」の人だったのだ。

山田稔はダイキン創業者の長男であり、関西財界における実力者。社長在任20年を超えるカリスマ経営者だった。ところが、井上は総務・人事畑が長く、主流の空調事業には携わったこともない。下馬評に上がっていたのは京大出の経営企画室長であり、井上はらち外だった。

2年後の94年2月、山田はその人事を実行した。くしくもその日、オーキッドの下準備で沖縄にいた井上に、会長(当時)の菅澤清志から電話が来た。「おまえ、次の社長らしいで。月曜に山田はんとこ行きや」。井上は「何を言うてはるのやら」。

週明け、社長室を訪ねた井上だが、山田は「そういうこっちゃ」と言っただけで、引き継ぎ話も何もない。半月後には社長交代会見。矢継ぎ早に質問が投げかけられたが、地に足が着いていなかった。座右の銘? 全然ないわ、そんなもん。

急ごしらえの新社長を待ち受けていたのは17年ぶりの赤字転落だ。バブル崩壊で93年度は経常赤字39億円。頼みの業務用エアコンも冷夏と円高に打ちのめされていた。

そこからリーマンショック前の2007年度まで、井上に率いられたダイキンは14年連続増益を達成した。前10年度、ダイキンは最大のライバルである米キャリア社を抜き去り、空調世界一の座を手に入れた。売上高1兆1600億円は井上の社長就任時のほぼ3倍。

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