(第69回)舌にまつわる話あれこれ(その1)

山崎光夫

 舌は長さ約9センチの筋肉でできている。人体の中でも素早く、巧みな動きがとれる筋肉である。舌がなければ、満足に食事もできなければ、会話も不可能。さらに、異物の排除という働きもある。

 「舌には本当に助かっています」
 と言うのはある歯科医。

 歯科治療ではいくら気をつけても、抜いた歯やはずした金冠、綿の塊などを落とすことがある。

 あっ、と思ったときには、ピンセットから落ちてしまうという。

 「そのとき、舌がじつに柔軟に機能して異物を捕らえるのです」

 ベテラン歯科医の実感である。咽喉の奥のほうに落ちては一大事。ヒヤリとした経験が何度もあるようだ。そこで、患者を診察台に寝かせて治療する方法はとらず、普通に座ってもらう姿勢で治療しているという。この場合、歯科医は立ち居で治療する。

 最近では、座って治療する歯科医が増えているが、この歯科医は立ったままで治療する。

 「立ったほうが疲れますが、安全には変えられません」
 と言い、今日も腰痛と闘いながら診療する。

 歯科医は口の中を見れば患者の健康度、栄養状態、持病、生活態度、性格などがわかるという。果ては資産内容までわかるらしい。

 「歯はもちろん見ますが、舌をみればおおよそ見当がつきます」
 という。
 舌の色、形、乾燥、触感、苔(こけ)の様子を見て判断する。
この舌の具合をひときわ重視するのが漢方医である。

 漢方医は舌の診察--舌診(ぜっしん)を尊重する。舌診は脈診(みゃくしん。手首の脈を診て体調を測る)や腹診(ふくしん。腹部に手のひらを這わせて診察)などとならんで漢方医には欠かせない診断法のひとつ。患者を知る重要な情報源である。

 漢方医は舌の色を診て、淡ければ貧血を、紅(あか)ければのぼせの状態を考える。湿気や乾燥度で全身状態を推し量る。

 色と同時に重視するのは、舌苔(ぜったい)。

 舌の表面はザラザラしているが、これは乳頭(にゅうとう)とよばれる突起。この乳頭の側面に味覚を感じる味蕾(みらい)がある。蕾(つぼみ)のような形をしていて、文字通り、「味のつぼみ」である。

 およそ1万個の味蕾がありヒトの味覚をつかさどっている。全身状態が悪くなれば味覚も異常をきたし、それは舌苔にあらわれる。

 舌苔は漢方医に詳しい体調を教える。

 私はこのたび、ある漢方研究会に出席した。漢方を診療に積極的に取りいれている医療従事者向けに、かなり大きな研究会が毎週どこかで開かれている。

 何千年の歴史を持つ漢方医学は古く、固定して変化のない“固まった医学” と思われがちだ。だが、それは認識不足で、漢方医や薬剤師、鍼灸師などの東洋医学関係の研究者ほど治療学を究めようとしている人はいないのではないかと思えるほど熱心、真剣に研究している。
 その研究会で「舌撮影診断システム(TIAS)」
の開発が進んでいるのを知った。眼科医が使用する眼圧計に似た機械で、台の上に顎を乗せ、口を開いて舌を出すと、カメラが舌を撮影し、それをコンピューターがたちどころに診断するというシステム。

 まだ開発の緒についたばかりで、データの収集、分析の研究が期待される。診断の科学化である。

 舌診で、計器なしに診断してきた過去の漢方医。その微妙な神業をコンピューターが取って代われるのだろうか。
山崎光夫(やまざき・みつお)
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』『二つの星 横井玉子と佐藤志津』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。
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