初代社長が語る、JR東海の「観光列車論」 東海道新幹線は観光列車になりうるのか

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ただ、ちょっと異説もありましてね。駅舎が途中で1回火事にあっている。それで半焼しているから本当は古い物ではないという人と、瓦が飛んだだけで建物自体はちゃんとあるという人がいる。どちらが本当かはわからない。

もう1つ、武豊線には古いものがある。隣の半田駅にある跨線橋は明治38年製。これも現役の跨線橋では日本最古です。

半田市には、カブトビールという昔のビール工場もある。明治時代の赤レンガの建物は実に立派なものです。半田市はそういうものの保存に実に熱心でね、亀崎駅や半田駅も合わせれば、観光資源になると思います。

飯田線に詰まった思い出の数々

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飯田線の小和田駅

――飯田線に点在する「秘境駅」も人気です。

秘境駅というのはほとんど乗り降りのない駅で、駅の周辺に何もない。でも、モノがありすぎる都会から見ると、何もないというのは非日常的なんでしょうね。

飯田線の秘境駅で一番有名なのは小和田駅。皇太子様と雅子様(旧姓・小和田)が結婚された時に、この駅を訪れる人が増えた。記念入場券がものすごく売れて、私も手伝いに行ったなあ。

この駅にはちょっとした思い出があってね。僕が静岡管理局の見習いだった頃の1957年に大きな地滑りがあって、小和田―大嵐間にある大嵐トンネルが押し流されて不通になってしまった。その当時は飯田線の重要性も今より高かったので、長期間不通を続けるわけにはいかない。かといって、代行バスを走らせようにも道路がない。それで、線路沿いを流れている天竜川に船を走らせて代行させようということになった。

調べてみると、佐久間ダムを管理している電源開発会社が100人くらい乗れる巡視艇を2隻持っていることがわかって、それを借りた。ところが電源開発には船を操縦できても、乗客を乗せて走れる免許を持っている人がいない。それで、当時国鉄には青函連絡船がありましたから、函館に頼んで、青函連絡船の船長や機関長に来てもらった。

私は誘導員として、お客様といっしょに船に乗って行ったりきたりしました。その時に船長に会ったら、「まさか川の上でボートみたいな船を操縦するとは思わなかった」とぼやいていた。こんな代行輸送が1カ月続きました。

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