ビジネススクールではすぐに就職活動も始めて、卒業後はマッキンゼーに入社しました--織畠潤一 シーメンス・ジャパン代表取締役社長兼CEO(第2回)

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 当時GEは世界最強の会社といわれていましたし、オファーされたポジションはBD(事業開発部長)でした。いわゆるPL、事業責任を持てる会社がいいと思っていましたが、マッキンゼーでコンサルタントをやっていたからといっていきなり事業会社の本部長、まして社長になるという話は少なくとも日本ではなかなかありません。

提示されたBDというポジションは、M&Aや提携の企画作りから交渉まで任され、1~2年したら事業部に移っていくというポジションで、コンサルタント出身のソフトランディングとしても自分に合ってると思いました。実際やってみて、ヒト、モノ、カネといった事業責任を持つと仕事はまた全然変わるということを実感しました。

(撮影:梅谷 秀司)

おばた・じゅんいち
 1963年3月23日、横浜生まれ。日本で小学校を卒業後、中学1年から2年間をイランの首都テヘランのアメリカンスクールで過ごした後、米国ジョージア州の公立高校を首席で卒業。マサチューセッツ工科大学(MIT)で電気工学学士号・修士号取得後、86年7月リクルート入社。リクルートでは情報ネットワークサービス事業部門にて新規サービス開発を担当し、FNX(ファクシミリ同報サービス)事業を立ち上げる。91年MITスローンスクールでMBA取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。ロサンゼルス・オフィス勤務に次いで、東京オフィスにて、主にエレクトロニクス、テレコム、ヘルスケア企業の戦略プロジェクトに携わる。99年、ゼネラル・エレクトリック社(GE)に入社し、GEメディカル・システムズ−アジアの事業開発本部長、CT事業本部長、サービス事業統括副社長、日本GEプラスチックス社長等を歴任。2005年コヴィディエン社(旧タイコヘルスケア)にタイコヘルスケアグループジャパン代表取締役社長として入社し、06年10月より日本、アジアパシフィック、東欧・中近東を統括するInternational President 兼 日本代表。11年1月より現職

■CEOへの道は、エグゼクティブ向けの人材会社・経営者JP主催のセミナー「トークライブ・経営者の条件」との連動企画です。
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