「兄達が突然死去」道長に立ちはだかる"最大の敵" 甥である伊周と繰り広げられた後継者バトル

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ある時、伊周が南院に人々を集めて、弓を射て遊んでいました(そこには道隆もいました)。

するとそこに、道長が現れます。道隆は(思いがけぬことよ。嫌な奴が来た)と内心思いますが、その気持ちは封印して、礼儀正しい態度で道長に接してしました。

道隆は、官位が低い道長に先に弓を射させました。道長VS伊周。最初の競射では、伊周が2本とも負けました。(このままでは息子の面子が立たない)とでも思ったのでしょう。道隆は「もう2回、勝負せよ」と言ったのです。

道長は兄の言葉を聞いて不愉快に感じながらも、「それならば、延長なさいませ」と同意しました。道長は続けて矢を放とうとします。その時、道長は「この道長の家から、帝と后が出るならば、この矢よ、当たれ」と言って、矢を放ったのです。

すると、見事、弓は的の真ん中に命中しました。次は、伊周が射ることになったのですが、気後れしたのでしょうか。手が震えたのか、弓を放つも、的に当たりもせず、見当違いの方向に飛んでしまいます。

父・道隆の顔は、その光景を見て真っ青になりました。道長はそんなことも気にせずに、2矢を放ちます。今度は「私が摂政・関白になるものならば、この矢よ、当たれ」と言いながら、矢を放つと、またしても先程と同じところに命中したのでした。

こうなると、場は白けてきます。伊周が負けじと矢を射ようとしたのを、道隆が「なぜ、射るのか。射るな、射るな」と激しく制止したので、場は一層、白けてしまったようです。

道長は、矢を返し、その場を悠々と退出しました。道長は弓が得意であったと『大鏡』は記しています。

この勝負は、道長の威風や、道長が弓を射る際に発した言葉、それらに伊周が臆してしまったことが、道長勝利の要因だったといえるでしょう。

道長の人相がやたらと褒められる

さらには、このようなエピソードも『大鏡』にはあります。

円融天皇の女御となった詮子(藤原兼家の娘)の法事のときに、飯室の権僧正のお供として、人相見の「供僧」が来ていました。

その人相見を女房たちが取り囲み、各々の人相を見てもらっていたところ、ある女房が「内大臣(道隆)殿の人相はいかがでしょう」と言い出したのです。

光る君へ 大河ドラマ 藤原道長
道隆が建立した京都・積善寺(写真: ogurisu_Q / PIXTA)

するとその人相見は「道隆様は実に偉い人相です。天下をとる相でございます。しかし、道長様こそ、真に立派な人相というべきでしょう」と答えます。

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