日仏夫妻始めた「KYOTOGRAPHIE」国際的人気の訳 京都に縁がなかった2人が立ち上げた経緯

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アフリカ育ちのレイボーズさんが、 初めて日本に来たのは1999年。「坂本龍一さんがサリフ・ケイタを日本に招いた際に、私は彼の世話係として2カ月間滞在しました。当時、私は写真家としてレコードジャケットの仕事をしていました」。

レイボーズさんは日本の神道とアフリカのアニミズムの間にいくつかのつながりを見出しました。そして、彼女は日本に「憧れ」、何度も足を運ぶようになります。

2007年に東京を訪れた際、レイボーズさんは妊娠しており、娘のエデンさんを日本で産みます。ところが、アフリカ人パートナーは出産後すぐにレイボーズさんのもとを去り、シングルマザーに。「とてもつらい時期でした」とレイボーズさんは振り返ります。

東日本大震災を経て京都に「移住」

そのまま東京に残りましたが、2011年3月11日に東日本大震災が発生。エデンさんはまだ3歳半で、彼女は多くのフランス人同様、原発問題、特に娘への放射能の影響をとても心配したと言います。そこで彼女はエデンさんを連れていったんフランスに戻って彼女を両親に預けて、『エル』誌の取材のために再び日本へ戻ります。取材は震災後の東北における母と子供たちの姿を描くものでした。

次にレイボーズさんは被爆者への取材のために、広島へ向かい、その帰りに訪れたのが京都でした。「日本には残りたいけれど東京は安全ではない」と感じたレイボーズさんはエデンさんをフランスから迎え入れ、ともに京都へ移住することを決めます。

その数カ月後、妖怪をテーマにしたプロジェクトで照明デザイナーの仲西さんと出会いました。当時、東京に住んでいた仲西さんも京都に住まいを移します。

「私はいつもカメラを持って1人で旅をしていました。まさに独り立ちしていたのです」とレイボーズさんは出会った頃のことを振り返ります。「でも、祐介と出会ってすぐに、一緒に仕事をすること、一緒に創作することはシンプルで自然なことになりました」。

今ではつねに一緒に「喧嘩しながら」創作活動に取り組んでいる、と仲西さんはいいます。「議論をできる相手だからこそきちんとした関係が構築できるし、お互いがやっていることが好きだというベースがあります」。

仲西さんとレイボーズさん(写真:Isabel Muñoz)
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