住民による懸命の復旧努力で明かりが灯り始めた被災地、将来を見据えた住宅政策が課題に

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住民による懸命の復旧努力で明かりが灯り始めた被災地、将来を見据えた住宅政策が課題に

津波の被害が大きい東日本大震災の被災地では、自宅の2階で暮らしながら、震災直後から復旧に取り組んできた住民も少なくない。そうした彼らの努力が呼び水となり、被害を受けた地域でも住民が戻ってきつつある。

宮城県東松島市牛網地区--。JR仙石線の陸前小野駅の北側にある、津波の被害を受けた住宅地でも、あちこちの民家に明かりが灯るようになってきた。町内に散乱していたがれきの多くが撤去され、コンビニエンスストアも営業を始めている。


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牛網地区で、真っ先に復旧作業に取りかかったのが、藤井滋さん(73)だった。

震災直後、大人の背丈ほどの津波が押し寄せてきた藤井さん宅では、1階の押し入れ中段まで海水につかり、家の中が泥だらけになった。震災4日後、水が引いたのを見計らって避難先から戻ってきてみると、家の周りにはどこからともなく流れ着いた冷蔵庫や木材、ビニールシートやタイヤなどが散乱していた。
 
 だが、「家を失った人と比べたら運がよかった」と気を取り直した藤井さんは、すぐさま片付けを開始。妻とともにおよそ50日かけて、1階で生活できる状態にまでこぎ着けた。



■「押し入れの中段まで海水につかった」と話す藤井さん


■藤井さんは家庭菜園も元通りにした


 もちろん、復旧作業は過酷を極めた。当初は電気も水道も復旧しておらず、食料にも事欠く中でのスタートだった。近所の農家からのおにぎりの差し入れで空腹をしのいだ。

尋常でなかったのはヘドロの量だった。「5センチメートルの厚さで廊下やトイレ、台所をびっしりと覆っていた」(藤井さん)。ヘドロは柱と壁のすき間にも入り込み、ぞうきんでいくら拭いても浮き出てきた。「乾燥すると微粒子となって家の中を飛散するため、マスクが手放せなかった」と藤井さんは語る。作業を終えてみると、ヘドロの量は2トン車で1台半分もあったという。

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