弁護士界の"細かすぎる派閥"はこう生まれた 東京3会に16会派、起源は126年前の派閥抗争

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東京に関しては、1880年に誕生した東京代言人組合の中で、大卒組とそれ以外の組合員の間で派閥抗争が勃発し、2つに分裂。1893年の弁護士法施行で代言人は弁護士になり、東京では2つに分裂していた代言人組合を無理矢理統合させて、1893年に東京弁護士会が誕生した。

だが、対立構造は変わらなかったので、1923年に東京弁護士会(略称、東弁)から大卒組が分裂する形で第一東京弁護士会(略称、1弁)が誕生。東弁と1弁の仲があまりにも悪かったので、その仲裁役として第二東京弁護士会(略称、2弁)が1926年に誕生したのである。

東弁最大会派の法友会は、終戦後間もない1946年に、戦前から存在した11の会派が集結して結成されている。会派内会派が存在するのはこのためで、ほかの会派の合流や会派内会派同士の合併を経て、現在の形になった。現在9部がないのもこのためだ。

会派に属さない弁護士が増加の一途

法友会に対抗する形で4つの会派が集結して1947年に結成されたのが法曹親和会。そして法友、法曹親和の2大会派の選挙抗争に疑問を感じた司法研修所出身の若手によって1959年に結成されたのが、期成会である。

この時代は明治、大正生まれの弁護士がまだ多数派であり、戦後発足した司法研修所を出て弁護士登録をした人たちは、新たな養成制度によって法曹会にデビューした「新人類」という扱いだったようだ。水曜会は東大全共闘事件の担当弁護士など、公安事件や学生事件の弁護団によって1973年に結成されている。

法友会と法曹親和会には、弁護士登録から15年目までの若手の組織である法友全期会と親和全期会がある。法友全期会、親和全期会のメンバーは、それぞれ会派内会派にも所属している。

東弁の会派は、水曜会以外すべて独自のホームページを持っており、沿革・歴史から歴代執行部の顔ぶれ、活動状況など、詳細な情報が随時アップされている。名簿管理も厳格だ。

新人は最初に就職をした事務所のボス弁が所属する会派に入会するというのが一般的だが、司法修習50期代後半の弁護士あたりから会派への関心が薄い層が増え始め、彼らが新人を雇い始めた数年前から、会派に所属しない弁護士の人数は増加の一途をたどる。東弁の4会派の合計人数は約5000人強。東弁全体の弁護士数が約7400名なので、足元の入会率は67%という計算になる。

1弁は東弁とは異なり、戦前は基本的に会派が存在しなかったようで、選挙戦では著名弁護士が率いる有力事務所の人脈がモノを言ったらしい。

会派誕生のきっかけは寿産院事件という、乳幼児対象の保育園を巡る詐欺事件である。高額の保育料を徴収して子どもを預かりながら、ろくにミルクも与えず大量の死者を出したこの事件。実刑判決を受けた被告の収監にあたり、大滝亀代司弁護士が便宜を図ったとされる事件である。

大滝弁護士の懲戒を不当だと主張する弁護士が第一倶楽部、正当だと主張する弁護士のうち、私学出身者が青風会、東大など官学出身者が新緑会を結成したらしい。この時期が概ね1950年前後。また、3会派誕生後の1951年に司法研修所出身の若手で結成したのが全期会である。

【2020年1月8日12時05分追記】私学出身者でつくる「青風会」の表記が誤っていました。上記のように修正いたします。

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