綿菓子製造機の移動販売がゲーム全盛期への道築いた--カプコン会長兼CEO 辻本憲三[上]

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 業務用ゲーム機の勢いが衰え始めた頃、営業には、暇を持て余す者が出始めていた。報告を受けた辻本は突然、「携帯充電器を造れ。7万個だ。売ってこい」と命じた。充電器はゲームとは無関係だが、時流に乗ったアイデアではあった。彼らの首を切らないために別の仕事を作ろう、との思いだったようだ。

喜怒哀楽をぐっと胸の内にしまい込み、端的な物言いをする。そんな一見理性の人は、実は情の深い人でもあった。それを育んだのは、理不尽の中に見いだした幸せや、最高潮から一気に奈落の底に突き落とされたりした、複雑な来歴がある。

生まれ育った奈良県橿原(かしはら)市は「モノは何もなく、自然だけ」の世界。田んぼや川で遊び回り、勉強などほとんどしなかった。中学2年生の6月、1年ほど病床にあった父親が他界した。苦労話など口にしない辻本が、唯一「大変だった」と険しい顔になるのが、残りの中学校時代だ。母親、弟二人と貧窮に耐え、進学をあきらめて就職先を探した。

「夜間(定時制)だけでも受けて」という母親の懇願がなければ、畝傍(うねび)高校に通うことはなかったろう。今も奈良県随一の進学率を誇る畝高。当時の定時制は300人規模の生徒数に十数人の教師陣と、十分な活気があった。結局「行ってよかった」。同校卒業生であり、全盛期の定時制を知る森田真康校長が話す。「進学できない子も多い時代、制服を着て職場に行けるのは誇らしいことだったはずです。ただ、“勉強が本分”の普通科の生徒と交代で教室へ入るときには、複雑な思いもあったことでしょう」。

辻本は週六日、朝8時半から夕方5時まで、浮き(釣り具)を製造する近所の会社で働いた。終業後、自転車を飛ばして登校、授業の後、柔道部の部活が終わるのは夜10時だった。昼ご飯から何も口にしておらず空腹は限界。帰途はチキンラーメンを楽しみに自転車をこいだ。

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