「グローバル・ローカル・国民国家」という難問 「自由と平等の衝突」の解決に必要な「惻隠の心」

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何年か前にトヨタ自動車の社長が「国内生産300万台」は死守したいと話したことがありました。下請け・孫請けに多くの雇用者を抱えている巨大企業としては国内に一定の雇用を創り出す社会的責任があるというたいへん「まっとうな」発言でした。でも、そのときに「海外の株主からはつよい批判があるでしょう」とも言っていました。海外のもっと人件費や地代の安いところに製造拠点を移さないで利益が目減りするとしたら、それは株主に対する「背任行為」だとみなされる可能性があるからです。(21頁)

自由と平等の衝突

太平洋戦争後、日本はアメリカ的な価値観を受け入れながら、福祉国家的な経済を維持してきました。その一例が護送船団方式です。

しかしグローバリズムの中心にあるアメリカ的価値観では、自国民を守るために国家が経済を保障するのは国民国家のあり方として間違っています。本来のアメリカの保守は小さな政府を志向し、日本の保守は大きな政府を志向するとも言い換えることができます。グローバリズムの中では、国民国家の存在自体が利益の増大を妨げていると認識され、排除されていくのでした。それはグローバリズムが「自由」を希求し、ローカリズムが「平等」を実現したいと思う関係に似ています。

著者は自由と平等は必ずぶつかると述べます。

平等というのは、公権力が市民の自由に介入し、強者の権利を制限し、富者の富を税金として徴収し、それによって弱者を保護し、貧者に分配することによってしか実現しません。市民を自由に競争させていたら、そのうち平等が実現するということは絶対に起きません。公権力による市民的自由の制限なしに平等は実現しない。そして、それは憲法制定過程でのフェデラリストと州権派の対立で見たように、州権の保持を望む人たちが最も忌み嫌っていたことでした。(128頁)

繰り返しますが、アメリカの国家観と日本の国家観はまったく異なります。日本の保守はアメリカに追随することで国民を守ることができたうちは「保守だった」といえるかもしれませんが、現在はアメリカ的価値観を内在化させ、利益を追求する自由を何よりも優先するようになってしまった。

小泉純一郎元首相が「私が、小泉が、自民党をぶっ壊します!」といってぶっ壊したのは、平等を志向する日本本来の保守としての自民党であり、ぶっ壊れたおかげで利益の追求を自由にできるようになった。その結果が、2000年代以降の景気の低迷した状況となって表れています。

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