ハイパーインフレの悪夢 ドイツ「国家破綻の歴史」は警告する アダム・ファーガソン 著/黒輪篤嗣・桐谷知未 訳 池上 彰 解説~詳細な生活描写による第一級のクロニクル

ハイパーインフレの悪夢 ドイツ「国家破綻の歴史」は警告する アダム・ファーガソン 著/黒輪篤嗣・桐谷知未 訳 池上 彰 解説~詳細な生活描写による第一級のクロニクル

評者 中岡 望 東洋英和女学院大学教授

原書の初版が発行されたのは1975年である。当時の世界経済の最大の課題はインフレであった。石油ショックと労働賃金上昇によるコストプッシュインフレが世界各国を直撃していた。米国ではインフレは「国民の敵ナンバー・ワン」と呼ばれるほど、深刻な問題であった。80年代に入るとインフレは沈静化に向かい、いつしか話題にもならなくなった。本書はそうした社会の関心の変化によって絶版になっていた。

時は巡り、この数年、再びインフレが世界経済の主要な問題の一つとして浮上してきている。一次産品価格の上昇、各国の財政赤字の拡大と超低金利政策がインフレ懸念に火をつけた。とはいえ世界経済はまだ金融危機からの回復過程にあり、インフレが差し迫った問題になっているわけではない。

本書は、現在、海外でベストセラーになっている。初版の出版から36年も経って、なぜ再び注目されるようになったのか。解説によると、米国の投資家ウォーレン・バフェットがオランダの友人に推薦したことで古本の価格が急騰し、版元が復刻したという。ただバフェットのエピソードは根拠が薄いそうだ。それでも本書が注目されるようになったのは、“古典”としての魅力が十分にあるからであろう。

本書が取り上げているのはワイマール共和国下でのハイパーインフレーションである。本書の原題は「通貨が死ぬ時」で、現代の経済社会で通貨の信用が失われたとき、社会がいかに大きなコストを支払わなければならないかが、当時の多様な資料を基に見事に描き出される。ハイパーインフレは、ドイツ人のモラルも誇りも伝統も社会の基盤も破壊し尽くし、ヒットラーの登場を準備することになる。

第1次世界大戦後の膨大な賠償金の負担や講和条約という制約があったとはいえ、本書は政府や中央銀行、経済学者はいかに無知無能であったかを明らかにしている。「首相は相変わらず、紙幣発行とマルク減価の関連を認めなかった。それどころか内閣にも、議会にも、新聞にも、その関連に気づく者はいなかった」。政府はインフレが高進すればするほど紙幣需要が増えると、紙幣の印刷を増やし続けたのである。渦中にいると人々が判断停止に陥るさまがリアルに描かれている。

本書は「原因が何かより、インフレが国にどういう影響を及ぼすか」に焦点が当てられており、ハイパーインフレを理論的に分析したものではない。通貨価値を守ることが経済にとっても、社会にとってもいかに重要かを再認識させてくれる。第一級のクロニクルである。

Adam Fegusson
1932年英スコットランドに生まれる。イートン校からケンブリッジ大学に進み歴史学を修めた後、ジャーナリストに。英紙タイムズなどで健筆を振るった。また、欧州統合に深くかかわり、英外務省の特別顧問、欧州議会の議員を務めた。

新潮社 2100円 344ページ

    

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