日産「セドリック/グロリア」とクラウンの岐路 国産初のターボ車、そしてY32で英華を極める

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10代目のY33(ワイサンサン)という型式名で呼ばれる次期型へも、Y32の価値観を継承する方向でモデルチェンジがなされた。

1995年に発売されたY33型の10代目セドリック
1995年に発売されたY33型セドリック(写真:日産自動車)
1995年に発売されたY33型の10代目グロリア
1995年に発売されたY33型グロリア(写真:日産自動車)

しかし、セドリック/グロリアは、1999年のY34で終わり、フーガが後継車種となっていく。

1990年のバブル経済が崩壊したあとも国内の自動車市場はまだ数年勢いが残り、Y32の人気によってセドリック/グロリアは人々に存在を強く印象付けた。一方で、バブル崩壊の後遺症が日産自体の経営を難しくし、ルノーとの提携を通じ、社長としてカルロス・ゴーンが就任する。そして、セドリック/グロリアは、世界的な車種統合の中でフーガとなり、伝統的な車名の歴史に幕を閉じることになった。そのフーガも、上級のシーマとともに2022年に終焉を迎えた。

終焉を選んだ日産と可能性を模索するトヨタ

1999年に発売したY34型セドリック。この10代目で日産からセドリック/グロリアの車名が消滅する
1999年に発売したY34型セドリック。この10代目を最後に、日産からセドリック/グロリアの車名が消滅する(写真:日産自動車)

自動車メーカーの柱として4ドアセダンを残すメーカーもあれば、売れ筋となったSUV(スポーツ多目的車)に力を注ぐメーカーもあり、日産はどちらかといえば後者に姿を変えていく。

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競合のクラウンも、現行の16代目からはクロスオーバーを基幹車種とし、世界での販売を前提とするようになった。派生として、4ドアセダンやSUV(スポーツと呼ぶ)、ステーションワゴン(エステートと呼ぶ)を加えたクラウン群としての構成に変わり、先行きを模索している。

国内で頂点を極め、競い合ってきたセドリック/グロリアとクラウンは、多少の時期の前後はあれ、グローバルカーという言葉の下で変革が求められたのである。

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御堀 直嗣 モータージャーナリスト

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みほり なおつぐ / Naotsugu Mihori

1955年、東京都生まれ。玉川大学工学部卒業。大学卒業後はレースでも活躍し、その後フリーのモータージャーナリストに。現在、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務める。日本EVクラブ副代表としてEVや環境・エネルギー分野に詳しい。趣味は、読書と、週1回の乗馬。

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