「円安は困りもの」と抑えつつ日銀が促進する矛盾 日本特有、物価と為替の「分業体制」は限界

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この分業は、1970年代初頭の「ニクソン・ショック」で変動相場制に移行後は、おおむね整合的だった。この間、日本を悩ませたのは「円高」で、日銀は金融緩和、大蔵省(現財務省)は円売り介入を実施した。

特に連携が緊密だったのは、ドル切り下げを意図したプラザ合意(1985年)後で、円急騰に対し、日銀は1986年、数次の利下げを断行した(結果的に過剰利下げとなり、バブルを助長したことは別途論じたい)。

当時の声明文は以下のようになっている。「ここ数日来、再びかなりの円高・ドル安となっている。……今回の措置(利下げ)が円相場のより安定した動きに寄与することを期待している」(1986年4月19日)。

25年前、日銀法改正の「歴史のイフ」

この声明文は、現在の日銀法に照らすと奇異な印象を受けるだろう。なぜなら、現行法では、日銀の目的は「物価の安定」であり、為替は所管外であるからだ。利下げの理由として直接的に「円高」を挙げるのは、日銀法の趣旨に合わないのだ。

ただ、中央銀行が通貨高で緩和するのは経済理論的には正しい。むしろ、中央銀行の任務を「物価」に限定することが現実にそぐわない。日銀法を現実に合わせるなら、金融政策の目的を為替も含めた「通貨の安定」とするのが正しい。そして、為替介入権の付与も望ましい。

1998年施行の改正日銀法(現行法)で、金融政策の安定対象が「物価」となったのは、財務省が為替介入権を保持したからだ。歴史にイフはないが、もし、この法律で日銀が為替介入権を持ち、金融政策の目的が「通貨の安定」となっていれば、どのような政策運営が展開されただろうか。

1998年当時は、すでに空前の低金利であり、金融政策の緩和余地は乏しかった。円高が進んでデフレ圧力が高まると、日銀は金融政策の一環として円売り・ドル買い介入を実施しただろう。

この介入は、もちろん日銀自身の勘定を使う。話を簡単にするために、仮にゼロ金利政策下で介入が実施されたとしよう。

1兆円の円売り・ドル買い介入を行うと、日銀のバランスシート(貸借対照表 )上では以下のような変化が起きる。資産側で1兆円の外貨が計上される一方、負債側で同額の当座預金残高が増える。要は、外貨を見合いに量的緩和を実行するような構図だ。実務的な緩和効果はないが、「介入資金の放置(介入の非不胎化)」に効果を見出す向きにはパーフェクトな介入と映るだろう。

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