「日本的な通過儀礼」ジャニーズが他人事でない訳 日本社会の組織的特色「運命共同体」の大弊害

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「通過儀礼」(イニシエーション)は文化人類学で用いられる概念で、結婚や成人など人生の重要な節目において、身分の移り変わりと新しい役目を得る一連の儀礼行為を指す。

通常、分離→過渡→統合の3つのプロセスを経るもので、分離は、現在の状態から離れることを意味する。過渡は、現在の状態から離れたけれども、新たな状態になっていない「カオスの状態」のこと。最後の統合は、新たな状態となってこちらの世界に戻ってくることを意味し、祝祭という形でもてなされる。

外部専門家による再発防止特別チームによる報告書で、元ジャニーズJr.たちは、性被害後に「性加害を受け入れるのが当たり前で通過儀礼だ」「おめでとう」などと仲間たちから言われたと証言していることは、この〝儀礼〟が意味することについて相当に自覚的であったことを裏付けている(調査報告書(公表版))。

このような性行為や暴力を伴う通過儀礼は、文化人類学的には古来からあるものであり、決して珍しいものではない。驚くべきは、現代の日本社会においてジャニー喜多川氏が作り上げたような、芸能集団に仲間入りするためには性被害を避けては通れないといった悪夢的なシステムを、当事者の多くもその周辺の人々も、マスメディアも野放しにしてきたことである。

ここにおいて当事者たちの論理はとても大事だ。通過儀礼における性被害のコストが祝祭(デビューの機会など)のベネフィットに優るのであれば良いとする現実主義もあるだろうが、どちらかといえば重要なのは、厳しい通過儀礼を経験した同じ仲間だから――という一体感の醸成の方である。これは加害の事実とは別個に考えなければならないメカニズムを持つことに注意が必要だ。加えて「あたかも神聖なるもののごとく無批判の遵守が要求される」暗黙のルールであるため、挫折した者はペナルティを負うことが当然視されやすくなる。

いびつな通過儀礼は、身の回りに多数ある

私たちは以上のような構図にデジャヴ(既視感)に近い感慨を抱くのではないだろうか。いびつな通過儀礼は今なおブラック企業、ブラック校則などではお馴染みのものであるからだ。社長や上司による凄まじいパワハラの洗礼、学校の部活動における理不尽なしごきが同じ仲間という意識を植え付ける、その集団特有の通過儀礼として機能している例は枚挙にいとまがない。それを耐え抜けば「一人前」となるのであり、その真意は「正式なメンバーとして認める」ということなのだ。

機能集団が運命共同体となり、トラウマ(心的外傷)的な経験によって強固に結び付く事態は、あまりに自然に進行する。いわゆる「苦楽を共にする」の「苦」の範疇に、緩やかに整合化されていくのだ。

当然去った者、残った者の差異があり、個々の捉え方も多様である。それを単に外野から叩いても根本的な解決にはならない。叩かれることも状況によっては外傷体験となり得るからだ

私たちは、この稀代の騒動を“悪趣味なエンターテインメント”として消費してしまうのではなく、自らの社会の問題でもあることを真摯に受け止めながら、独善的な思考が暴走しないよう事の行く末を見守っていく必要がありそうだ。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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