「女性が働きやすい職場」はヤクルトに学べ ママに嬉しい「時短」「家近」「託児付」

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神奈川県内のセンターで働く佐橋あゆみさん。ヤクルトレディになって丸2年。月10万~17万円を稼ぐ

今から50年前――。東京オリンピックが開催され、日本は好景気に沸いていた。女性雇用者数は年率5~6%で増え続け、それに伴い主婦(有配偶者の女性)の就業率も大きく上昇。「OL」という言葉が企業で働く若い女性の呼称として登場し(1964年)、「共稼ぎ」という言葉が夫だけでなく妻も職業を持ち、夫婦がともに生計を担う家庭を指して使われ始めたのもこの頃(1965年)だ。

女性の社会進出を後押しした「ヤクルトレディ」

週刊東洋経済臨時増刊「ワークアゲイン」では、女性の多様な働き方について特集されています(上の画像をクリックするとアマゾンの販売サイトにジャンプします)

「ヤクルトレディ」が登場したのは、日本がそんな時代に突入しつつあった1963年のことだ。「ヤクルト」の顧客は家庭の主婦が中心。勝手口から訪問し、商品のよさや健康面へのメリットを伝えながら手渡しで届けるというスタイルは、男性よりも女性にフィットする。地方で始まったこの販売制度は、やがて全国で組織化された。その背景には、女性が男性と同じように働くことに対してまだ戸惑いや賛否両論がある時代に、女性の社会進出を後押ししようという思いもあったと言う。

当時のヤクルトは、牛乳と同じように毎日早朝に宅配が行われていた。そのため「朝ごはんまでに帰ることができる仕事」として、女性の中でも特に主婦に人気の職業となったという。1970年代には、小さな子どもを持つ女性でも安心して仕事ができるよう、いち早く事業所内保育所を設置。定年もなく、どのようなライフイベントを迎えても女性が一生続けられるよう、さまざまなサポートが行われてきた。

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