関東大震災100周年とアナキスト大杉栄の人生 流言飛語が生まれた時代、アナキストの思想は

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ちょうど関東大震災から1年後の1924年に、物理学者で随筆家の寺田寅彦が「流言蜚語」という随筆を書いているが、その中で原因となる源がなければ、またそれを伝搬する媒体が存在しなければ、拡がらないと書いている。しっかりとデマであることを理解し、デマを広める市民がいなければこんなことは起きなかったというのである。

しかし、市民が科学的であれば起きないのかというと、ナチス政権時代のドイツを見てもわかるように、けっしてそうではない。その後も次々と起こるこうした現象を、たんなる市民の科学的知識の善し悪しで判断することはできないだろう。むしろ、付和雷同や体制順応という大きな政治的流れの中で狂気が始まっていくからである。

『世論』のリップマンの指摘

アメリカの社会学者ウォルター・リップマン(1889~1974年)は、『世論』の中でこう述べている。「大衆が耳にする報道は、事実そのままの客観性を備えたものではなく、すでにある一定の行動型に合わせてステレオタイプ化したものである」(『世論』掛川トミ子訳、岩波文庫、下巻76~77ページ)

すでにある一般に流布した考え方にすべてをねじ込むことで、まさにそうであるに違いないと思われるものをつくりあげ、そうであるに決まっていると判断していくのである。それは、まさに戦争下における報道管制に似たもので、反対するものには徹底した弾圧と村八分が待っていることで、ここから抜け出ることは簡単ではないのだ。

1923年といえば、第1次世界大戦が終わり、日本が期待していたとおりに戦後が進まなかったことで、国民全体が不満を持っていた時代であった。戦争の勝利による利益が思ったほど得られなかったという事実は、国民の失望を高めた。

第1次世界大戦後の不景気の中で、1910年日本に併合した朝鮮では1919年3月1日に独立運動が起こり、その2カ月後の5月4日には、中国で日本に対する抵抗運動が起きていた。

一方で、その日本はパリ講和会議では、人種差別撤廃を掲げていた。アジアの植民地の人種差別を肯定しながら、白人による黄色人種差別を撤廃せよという相矛盾するこの政策は、結局日本人のアジア蔑視をより強化することになってしまう。

こうした相矛盾する言動の本当の理由は、アメリカのカリフォルニアで、アジア人移民に対する白人の排斥運動が起きていて、アジア人でもある日本人移民を守るために、これを人種差別という観点から批判したかったからであった。

しかも、日本の楽観的予測としては、日本人以外のアジア人は移民排斥となるが、日本人をアメリカが排斥することは、よもやないだろうと考えていた。

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