(第58回)胃腸系の話(その2)

山崎光夫

 人生の幸福は口腹(こうふく)にあり、と私は考えるが、どうだろう。飲食の欲望が満たされるかどうかが幸せか否かの基本にある。
 その食事が美味しいと感じられなくなったら、これほど悲しいことはないかもしれない。

 その悲しい事態を私自身が還暦を過ぎて体験した。風邪をこじらせ、味をほとんど感じなくなってしまったのである。
 味覚障害に陥ると、芋もバナナも味の見分けがつかなくなるといわれるが、まったくそのとおりで、食べ物の微妙な味が感じられなくなってしまった。味気ないとはこのことである。舌の上に薄い膜が張られたようで何を食べても美味しくない。食欲も失せてしまう。

 この状態が2カ月ほど続き、ようやく少しずつ味が戻ってきた。
 「2カ月で済んだのならいいほうです」
 と消化器の専門医に言われたものである。
 高齢になって、味覚障害を来たすと、場合によっては、半年、1年続く。さらに3年、5年以上の例もあるというから、2カ月はまだまだ“序の口”だったかもしれない。

 強いストレスを受けると途端に胃腸に来る人は多い。食欲不振、むかつき、吐き気、もたれなど、胃腸の不快感に気分も憂鬱になりがち。
 大人の悩みは胃に来るというが、そのとおりである。
 強いストレスから来る心身の異常を回避する方法は、心理学者によれば・・・・・・、
 1、さぼる。2、ねむる。3、逃げる。
 この3つのどれか、またはすべてに集約されるという。
 強いストレスの大元は、仕事、受験、家事、病気、子育てなど、いろいろある。その対応策は同じで、さぼるか、ねむるか、逃げるかだという。
 強いストレスを浴びて最悪の事態を招かないためにも、普段から、自分なりのさぼる、ねむる、逃げるの3つの“る・る・る”を会得しておくのがよさそうだ。まさかのときの逃げ道は誰にでも必要だ。
 いわばガス抜きの方策を普段から心得ていることが、胃腸を正常に機能させる。

 丸の内に勤務するある大手企業のサラリーマンからストレス解消法を聞いたことがある。
 社内でむしゃくしゃしたことがあると、丸の内から新宿まで猛烈なスピードで歩くのだという。小一時間かかるというが、脇目もふらず必死に歩く。すると、新宿駅に着く頃には気分も少しは晴れて、居酒屋にでも立ち寄ろうかという気にもなるという。“る・る・る”でいえば、「逃げる」の一手であろう。

 「ねむる」は最良のストレス発散法である。
 食べてすぐ寝ると牛になるとはよくいわれる。怠惰を戒める発想だが、この方法ほど、胃腸系にとって強い味方はない。
 古来から、「食後の一睡(いっすい)万病円(まんびょうえん)」といわれる。食後のひと休みやまどろみは万病に効くのである。

 夫婦関係が胃腸病を招く例も多い。特に、夫が定年後、家に居続けるようになると、夫婦のストレス、特に妻のストレスは一気に高まる。
 夫婦円満のコツは、「夫婦怠慢」にありそうだ。お互い相手の行動には怠慢なくらい無関心、無干渉になるほうがうまくいく。いちいち関心を持っているとお互い息が詰まる。
 “る・る・る”でいえば、「さぼる」に入るだろう。

 人間、エネルギーのもとの食を摂り、胃腸が正常に働けば快適な日々が送れる。そのうえ、“る・る・る”を習得すれば鬼に金棒だ。
山崎光夫(やまざき・みつお)
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』『二つの星 横井玉子と佐藤志津』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。
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