ネスレ、17万人の"コーヒー大使"を率いる男 オフィスで「バリスタ」が市民権を得るまで

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岡山3年、広島3年、合わせて6年間の中国地方勤務を経て、津田さんは神戸本社のマーケティング職に着任。「ネスカフェ ゴールドブレンド」とコーヒーマシン「バリスタ」を担当することになった。

ネスレ日本のマーケティング部門は、川上から川下まで、すべての工程を担当者自らが指揮することに特徴がある。津田さんも例外ではなく、製品開発からPOP開発、広告制作に至るまでのさまざまな業務と、それに関わる社内調整に悪戦苦闘した。

そんなめまぐるしい日々が約2年続き、ようやく自分のペースをつかめてきた頃、ついに「バリスタ」が50万台を販売する大ヒットを記録した。

しかし、喜んでいたのもつかの間。当時津田さんの直属の上司から檄が飛んだ。「このマシンを全世帯に行きわたらせようと思うと何年かかると思う? 計算してみろ!」。津田さんは答えた。「……60年です」。かくして「バリスタ」チームは休む間もなく、どうすれば爆発的にマシンを広められるかを考えることになった。

「忘れもしません、2010年12月からの年末年始。ずーっと、どうすれば売れるかを考えていました。それで年が明けてすぐ、上司に『今年やります!』と宣言したことが3つあって、そのうちの1つが、『バリスタを家庭だけではなく、様々なところで使っていただく自動販売機のような存在にしたい』という内容でした」

被災地でバリスタがもたらした「ある変化」

その直後に起きたのが、東日本大震災だ。自身が震災を経験していた津田さんは、かつて自分が人にしてもらったお返しがしたいと、反射的にバリスタと専用カートリッジを掻き集めて会社を飛び出し、被災地に寄贈して回った。

するとまもなく、届けられたバリスタからある変化が生まれた。津田さんは後日、現地の人からこんなことを聞かされる。

「仮設住宅には他人が集まっているので、誰も集会所に出て来ようとしない。編み物教室、太極拳教室なんかを開催しても、その時だけ人が来るだけで、後が続かない。でも集会所にバリスタがあると、コーヒーをきっかけに人が集まり、会話が生まれるようになった」

津田さんは、それを聞いて「これや!」と思った。「今までは家庭にマシンを売ることだけを考えていました。ですが、人が集まる場所にマシンを置かせてもらうことで、その場に会話や笑顔が生まれる。この活動を全国のコミュニティに広げられるのではないかと」。

津田さん自らが咄嗟に起こした行動が、やがて大きなビジネスにつながるヒントになったのだ。津田さんはこの経験に基づき、バリスタを家庭外に広めていくプロジェクトをリードしていくことになる。

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