【独占手記】私が山上徹也との面会を決めた理由 公判をめぐって、おかしなことが起きている

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自殺未遂から数カ月後、私は、兵庫県伊丹市にある自衛隊病院で養生していた彼のもとを訪ねた。「しばらく私の家に来て勉強をやり直すか」と訊くと、彼は喜び、顔に生気が戻ったような気がした。

今思い返すと残念極まりないのだが、私の家に来る話は前に進まなかった。私の妻にがんの兆候が見つかったからだ。彼を自宅に招くのは難しいと判断し、「あの話はなかったことにしてほしい」という手紙を書いて送った。

手紙を読んだ徹也の落胆はいかばかりだったか。

それから3年後の2005年、徹也の兄はみずから命を絶った。葬儀で、徹也は兄の遺体に覆いかぶさって号泣していたと聞いている。葬儀の時、私も徹也の側にいてやりたかったのだが、実は私もがんの術後にあって、床に伏せていた。

母親の豹変

次に徹也の姿を見たのが、2022年7月、安倍元首相を銃撃したニュースを報じるテレビ画面の中となった。

事件直後、奈良にいた徹也の母親と妹に連絡し、すぐに大阪府下の私の家にタクシーで来させた。マスコミや警察から保護するためである。それから約6日間、私の自宅は多くの記者、カメラマンに囲まれ、まったく出入りができない状況となった。

その間、私は奈良地方検察庁に2人を保護している旨を伝え、二度にわたって検事らに来宅してもらい、徹也の母親らの検事調書を作成してもらった。

急ぎ検事に調書を作成してもらったのには理由がある。誰かが(徹也の)母親に入れ知恵し、旧統一教会に都合のいい供述やメッセージを出させる懸念があったからだ。そうなる前に、検事にしっかりと調書を作ってもらって事実認定をしておきたかった。

そして、当時の私の判断は間違っていなかったと思っている。

検事から「事件をどう思っているか」と問われた徹也の母親は「(世界平和統一)家庭連合に申し訳ない」と答えるだけで、自分の献金によって人生を狂わされた息子たちに対する謝罪の言葉はいっさいなかったのだが、その後、旧統一教会の関係者と連絡をとるようになった彼女は、一転して、徹也らに対する謝罪の意を表明するようになったからだ。

徹也たちに謝罪の意を示しておかなければまずいという助言が、誰かからあったのではないか。

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