湘南モノレールは「海岸」まで延びる予定だった 終点「湘南江の島駅」の位置はどう決まったか

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しかし、この計画は、江ノ島駅構内上空を通過することに対して江ノ電の反対を受けることになる。江ノ電にとって江ノ電駅は単なる途中駅ではなく、本社機能および鉄道運営上、重要な施設を備えた心臓部ともいえる駅であり、モノレールによって構内が分断されれば、今後の会社の発展に重大な影響を及ぼすというのがその理由だった。

この江ノ電との立体交差の件は、なかなか解決に至らず、最終的には江ノ電の親会社である小田急電鉄の当時の会長、安藤楢六氏に仲裁に入ってもらい、結局、立体交差の位置をずらし、洲鼻通り付近(江ノ電の藤沢起点3.375km付近)で交差することを1970年3月20日付で江ノ電と合意し、協定を結んだ。しかし、この位置での交差だと線形上、先に日立金属工業から入手した土地に駅を設置するのは難しく、せっかく2億円以上も出して入手したにも関わらず、同土地は放棄せざるを得なくなった。

現在の終点は「中間駅」の位置付けだった

以上の経緯から、ここで大幅な計画変更が必要となり、終点駅予定地を洲鼻通り入口から約200m入った地点に変更して用地交渉に入るとともに、片瀬山はトンネルを止め、京急道路上を通すことに変更した。(終点付近略図の「第二次予定線」)

湘南モノレール50年の軌跡
『湘南モノレール50年の軌跡』(神奈川新聞社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

ところが、この計画も、片瀬山付近の京急道路の地権者である2軒の寺院から、本堂や墓地を見下ろす道路上をモノレールが走行するのは困ると道路使用を差し控えてほしいとの要望があったことから、再びトンネルに変更する必要が生じた。また、終点駅の位置も、洲鼻通り駅予定地に至る路線上の地権者(1軒の商店)の反対により、県道手前(現在の湘南江の島駅の位置)に後退せざるを得なくなった。こうして、片瀬山はトンネルで通過、終点駅は県道手前という現路線が、1970年の秋頃に確定した。

ただし、この時点では湘南江の島駅はあくまでも中間駅の位置づけとし、将来的には、より海岸近くに駅(江の島海岸駅)を設置し、延伸する予定とした。しかし、実際には海岸までの用地確保は難しく、その後、1986年2月25日に湘南江の島駅―江の島海岸駅間の延伸を断念(地方鉄道運輸営業廃止許可)し、湘南江の島駅が正式に終着駅として確定した。

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森川 天喜 旅行・鉄道ジャーナリスト

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もりかわ あき / Aki Morikawa

現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)。2023年10月~神奈川新聞ウェブ版にて「かながわ鉄道廃線紀行」連載開始

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