アメリカ建国の父の逸話に仕事人の本質が映る訳 古典「フランクリン自伝」を読んで学べること

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当時のアメリカは発展途上にあり、イギリスと比べて遅れた国だった。フランクリンが勤めていた印刷所では活字不足が頻繁に発生した。しかし、産業が未発達で分業による専門化が進んでいなかった当時のアメリカには活字鋳造業者はいなかった。そこでフランクリンは自分で鋳型を考案し、間に合わせの活字を造らなければならなかった。ほかにも、彫り物や印刷用のインクづくりから倉庫番まで、ありとあらゆる仕事を自分でやる「なんでも屋」としてキャリアを形成していった。

若き日のフランクリンは印刷業者として独立し身を立てることを志した。しかし彼には何もなかった。資金や設備や技能はもちろん、人材や顧客を獲得するためのネットワークもすべてゼロから自分の手と力でつくっていかなければならなかった。

印刷工場を経営するようになると、すぐに新聞を発行している。メディアだけでなくそれに載せるコンテンツも自らつくる。記事が面白いと評判になり、フランクリンの新聞は多くの購読者を獲得し、発行部数は伸びた。これが印刷業にも良い影響を与え、好循環を生んだ。

フランクリンが取り組んださまざまな仕事は、いずれも彼の中にあるただひとつの動機から生まれている。それは無尽蔵の探求心だ。

フランクリンにとって活動の幅を広げるのはごく自然なことだった。誰から頼まれたわけでもない。名誉栄達を求めたわけでもない。自らの内発的な探求心に忠実だっただけだ。自分が興味を持つ問題の解明に取り組んだ結果として多種多様な仕事をすることになった。フィラデルフィア実験もその一つだった。

大きな公共図書館を作ることになったきっかけ

フランクリンの中ではすべての活動が分断なく連続していた。すべての成果が同じ一人の人物の探求心によってもたらされている。本人にしてみれば、どんな仕事をするときでもいつも同じことを同じようにしているという感覚だっただろう。

フィラデルフィア・アカデミー(後のペンシルベニア大学)の創設にその好例を見ることができる。源流ははるか昔、印刷所を開業する以前に彼が組織した「ジャントー」というクラブにある。真理を探究したいという情熱にかられたフランクリンは、倫理や政治、自然科学に関してメンバーが書いた論文を発表し合い、議論する場をつくった。

ジャントーの活動は長く続いた。そのうちにフランクリンの頭にあるアイデアが生まれる。論文を書くためには何冊もの本を参照する必要がある。各人の蔵書をジャントーの会合部屋に集めておけば、全員がすべての本を持っているのと同じことになる。つまり、クラブのための図書館だ。

この経験から、より大きな公共図書館をつくろうという目標が生まれた。この目標はアメリカで最初の会員制図書館として結実し、これがフランクリンにとっての最初の公共事業となった。図書館は人々の知的活動の拠点となり、この延長上にペンシルベニア大学が生まれている。

つまり、フランクリンによる大学創設は、功成り名を遂げた富豪の慈善事業ではなかった。彼の知的探求心に基づく活動が自然な流れでだんだんと大きくなった結果として大学が生まれている。

このように、フランクリンの成し遂げた成果はバラバラに生まれたのではなく、彼の探求心を中心にすべてがつながっている。ここにジェネラリストの究極の姿を見る。

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