デビュー25年、歌手aikoが「まだ序盤」と語る真意 「まだ到達できないことが多すぎる」(前編)

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「親戚の家では、何となくずっと陽キャな自分を演じていました。そのほうが良い気がしたんでしょうね。でも、思春期だし、だんだん壁を作るようになってしまって。一人で部屋にこもってラジオを聴くようになりました。その時、いろんな音楽を知ることができたし、楽しいこともたくさんあることに気づけた。歌手になりたいという夢とか思いがどんどん強まっていったんですよね。今もその夢から覚めていないというか。だから、あの時間のおかげで、今の自分があるんだろうなと思うんです」

一人の時間に音楽への思いと知識を重ねた。寂しさを徹底的に味わったことで、自分の内面世界は豊かに育ち、一人で音楽を作ることが最高の楽しみにもなった。

音楽界のバブル中、ヒットを重ね大ブレイク

高校卒業後は、大阪音楽短期大学に進学。在学中、いくつかの音楽コンテストで頭角を表した。そのひとつ、1995年に出場したヤマハ主催のオーディション「第9回 TEENS’ MUSIC FESTIVAL」ではグランプリを獲得した。ちなみに、このオーディションには、のちに同じ年にメジャーデビューすることとなる、椎名林檎もバンドでエントリー。奨励賞を受賞している。

早くからその才能を煌めかせていたaikoは、1998年に『あした』でデビュー。このデビュー曲こそ、さまざまな事情から自作の曲ではなかったが、2曲目の『ナキ・ムシ』以降は、すべて自身の作詞曲でのCDリリースを貫いている。

1998年。社会的にバブルはとっくに弾けていたものの、音楽界にはバブルが沸き起こっていた。やはりデビューが同期の宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』がメガヒットしたのをはじめ、『だんご3兄弟』も社会現象と呼べるほどのヒットに。そんな喧騒の中、aikoも着実にヒットを重ねてファンを増やし、大ブレイクしていくこととなる。

デビュー直後の印象的なエピソードがある。当時から音楽のみならず、その愛嬌あふれるキャラクターや物怖じしない喋りも注目を集めていたaikoは、デビュー前からラジオ番組のDJとしても人気となり、複数のレギュラー番組を持つようになった。

次ページテレビのレギュラー番組の話がいくつも舞い込んできたが…
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