教科別の授業はナシ、基本は自由進度学習

2023年3月のある晴れた日。壁一面の窓から朝の光がいっぱいに差し込むヒロック初等部(以下、ヒロック)に、続々と子どもたちが集まってきたーー。

ヒロックは22年4月、東京・世田谷区の砧公園にほど近い場所に開校したオルタナティブスクールだ。一条校(学校教育法第1条が規定する小学校)ではないため、地元の公立小に学籍を置いて通う子どもがほとんどで、中には籍を置く一条校に定期的に通う子もいるという。ここで学ぶ子どもたちは「Co-learner(コゥ・ラーナー)」、教師は「子どもに寄り添う」という観点から「ラーニング・シェルパ(以下、シェルパ)」と呼ばれている。

この日集まったCo-learnerは、小学1年生〜3年生の16人(取材時の在籍数は20人)。一方、シェルパは校長の蓑手章吾氏とカリキュラムディレクターの五木田洋平氏のほかに、サポートスタッフが1人、研修にやってきた教育関係者が2人、元教員で今日のゲストティーチャーが1人の合計6人だ。

9時10分ごろ、全員が自然と円になって座り、サークルタイムが始まった。いわゆる朝の会だ。「よへいさん、A班は○○ちゃんがいない」と声がかかる。子どもたちがシェルパに班のメンバーの出欠を報告。「先生」とは呼ばずに「よへいさん」「みのさん」と呼ぶ姿が印象的だ。

その後、各自パソコンやタブレットで「スクールタクト」を開き「朝ノート」を書き始める。昨日の出来事や今日の予定、話題のニュースなど内容はさまざまだが、全員が当たり前のようにキーボードで文章を打ち込んでいる。自分の気持ちを書く子、写真を載せる子など、書いた内容は全員に共有され、互いに「いいね」やコメントを送れるようになっている。

サークルタイムが終わると、9時半からは自由進度学習が始まった。ヒロックには教科別の時間割はなく、時間割は以下の4つで構成されている。

① 自由進度学習
基本の読み書き計算など、トレーニングでスキルを獲得する時間。毎回自分でやることと「めあて」を決めて学習し、「ふりかえり」まで行う。

② 探究の時間
シェルパ側が学んでほしいことを軸に、かつ子どもの活動が多い内容を扱う。「数と論理」「思考と言語」といった形でシェルパ側がある程度の枠組みを作る。

③ マイプロジェクト
自分の好きなテーマを選んで探究する時間。料理、石を割る、カードゲームなど、好きなテーマを選べるが、「上達する」「広げていく」ことを計画学習的に行っていく。

④ 自由
何をやってもいい時間。遊んでいる子、自由進度学習を行う子などさまざま。③のマイプロジェクトと違い、向上しなくてもいいとされている。

好きな席で自分で「めあて」を決め自由に学習

ヒロックには固定席がない。自由進度学習の時も、壁際のデスクで集中している子、ソファーで仲良しの子と身を寄せ合って座る子、寝転がってパソコンを操作する子、数人でテーブルを囲む子とさまざまだ。行き来も自由なので、いつの間にか移動している子もいる。

それぞれ好きな場所で学び始める子どもたち

Co-learnerは最初の5分で「めあて」を決める。床に座っていた男の子は「さんすうを22ページから26ページまでやる」とタブレットに書き、ドリルを開いた。漢字の練習をする子、世界の人口や国の面積を調べてまとめる子、お金の勉強をしている子などもいる。

蓑手氏や五木田氏は絶えずフロアをぐるぐる回りながら、Co-learnerが学習する様子を見ていく。声をかけることもあれば、かけないこともある。一人ひとりの様子をじっくりと見て、声がけをしているのがよくわかる。

一方、子どもたちも、わからない問題に出くわしてもネットで検索をしたり、「eboard」の動画教材を見てみたり、自らのペースで学びを進めている。しばらく手が止まっている子に、シェルパが「これはどうやって考えてるの?」と問いかけるものの、子どもの話を聞きながら必要最低限の情報を伝えているという印象だ。

もちろん「みのさーん、これ教えて」という子もくるが、「○○も検索してみたら?」とか「こんないい方法があるよ」などと声をかける。「それは○○に聞いてみたら?」「ほかの子の意見も聞いてみたら?」と提案することで、子ども同士が自然と協力し合う姿もあった。

蓑手氏や五木田氏はフロアを回りながら子どもたちに寄り添う

この日の午前中は、自由進度学習の次にゲストティーチャーが授業を行う「自由」、その後に「思考と言語」という時間割だった。「思考と言語」では架空の物語を作り、完成させた物語を互いに読み合ってフィードバックをしていた。ランチは「外で食べたい」という子どもたちの提案を受けて、シェルパも一緒に全員で元気に砧公園に出かけていった。

学年もテストも競争もない学校をつくった理由

小学校ならば当然のようにある教科別の時間割も学年もないヒロック。この学校をつくった理由を、公立小学校の教員としてキャリアを積んだ蓑手氏はこう話す。

「公教育の現場はやらなければいけないことが多すぎて、本質的にやるべきことの優先順位が低くなりがち。本来やるべき、子どもが育つ力、成長する力を身に付けられる環境を整えることをど真ん中に据えた学びの場をつくりたいと思いました。時間割、学年制、成績やテスト、比較競争があると、学びの楽しさがねじれてしまう。それらを全部なくしたとき、学習者である子どもたちがどうなるのか、この目で見てみたいと思ったのです」

蓑手章吾(みのて・しょうご)
HILLOCK(ヒロック)初等部 校長
公立小学校で14年勤務した後、2021年3月に東京・世田谷にオルタナティブスクール、ヒロック初等部を創設、22年4月に開校。専門教科は国語。特別支援学校でのインクルーシブ教育や発達の系統性、学習心理学に関心を持ち、教鞭を執る傍ら大学院にも通い、人間発達プログラムで修士号を取得。特別支援2種免許を所有。プログラミング教育で全国的に有名な東京・小金井の前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任するなどICTを活用した教育にも高い関心と経験を持つ。著書に『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』(学陽書房)、共著に『before&afterでわかる!研究主任の仕事アップデート』(明治図書)、『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)、『個別最適な学びを実現するICTの使い方』(学陽書房)などがある
(撮影:梅谷秀司)

私立小学校で教員としてのキャリアを積んだ五木田氏も、設立への思いをこう話す。

「公立小学校が98%の日本では、その土地に生まれたからという理由で6年間地元の学校に通います。わずか数%でもオルタナティブスクールという選択肢ができることで、子どもたちに『さまざまな学びの場を与えられる社会』になればいいと思いました。教育の場は本来、一人ひとりに合わせたり、失敗を含めた多様な学びができる場のはず。僕は以前、バカロレア認定校の立ち上げに携わったこともあり、授業のみならず、積極的に学びの場をつくる、という動きをする教員像があってもいいと考えたのです」

五木田洋平(ごきた・ようへい)
HILLOCK(ヒロック)初等部 カリキュラムディレクター
私立小学校で10年間勤務した後、2021年3月に東京・世田谷にオルタナティブスクール、ヒロック初等部を創設、22年4月に開校。教員時代はクラス担任、学年主任、ICT部主任などを兼任し、学び合いの授業実践を研究しながら子ども同士が学び合う、自分たちを表現するクラスを運営。2014年度~20年度に私立開智望小学校の設立と運営にも参画し、ICTを用いて日本語版のインターナショナルバカロレアの理論を取り入れた探究学習を推進した。シンガポール日本人学校の研修講師や、大学の特別講座なども担当している。22年に『ICT主任の仕事術 仕事を最適化し、学びを深めるコツ』(明治図書)を刊行。またICTのみならず、学校組織のアップデートを目指し、ポリシーメイキングプロジェクトを主催している
(撮影:梅谷秀司)

ヒロックでは、子どもが主役となって「育ち」や「学び」を主体的に勝ち取る、子どもの福利、いわゆるウェルビーイングを広げていく学校を目指しているという。

現在の学習指導要領でも、主体的・対話的で深い学びによって、子どもたちが自分で未来・社会を切り開いていくための資質・能力を育んでいくことを重要な指針として位置づけている。だが、授業以外の業務が多かったり、教育課程の編成で制約があるなど、必ずしも子どもたちの成長と向き合えるわけではないということなのだろう。

とはいえ、学校や学年で取り扱わなければならない内容・指導を定めた学習指導要領はまったく意識していないのだろうか。

「本来、学習指導要領は発達における目安のはず。なのに『この内容を○年生より前にやると頭がいい、遅くやると頭がよくない』といった誤解を生み出してしまうことも。学習指導要領や学習の学年配当が子どもに見えてしまうと、『やらなければいけないもの』になってしまう。僕らは意識しますが、子どもには見えなくてもよいと思っています」(蓑手氏)

一人ひとりへのこまやかな見取りで情報を蓄積

教科別授業を行わないことについて、五木田氏は「決して公立校や私立校を批判しているわけではない」と前置きをしたうえでこう説明する。

「『学習指導要領をやらなくて大丈夫か?』と疑問を持つ方がいるのも理解できます。ただ、『授業で教えたからといって学習者全員がその場で身に付くものなのか?』という前提が抜けているように思います。とくに今の学校は、やるべきことが過積載の状態。ヒロックのカリキュラムデザインは、その子のことを理解したうえで必要なことを必要なタイミングでやれたほうが学習効果も高いですし、何より『学びは楽しい』と感じられると考えました。『教えれば身に付く』という前提は『やらないからできない、だからやれ』といった歪んだ価値観を生んでしまう気がします。『一人ひとりペースも学び方も違うのが自然』という前提で学びの場をつくったほうが子どもの豊かな育みを支えられると考えました」

「思考と言語」の時間。集まって話を聞いた後、互いの文章を読んでフィードバックをもらう

現在は、蓑手氏と五木田氏という2人のシェルパに対し、Co-learnerは20人と公立小の3倍以上の手厚さだ。一人ひとりの子どもに寄り添うことが十分に可能な一方で、「探究の時間」などでは異年齢の子たちが一緒に学ばなければならない。それぞれの理解度に問題はないのだろうか。

「大事にしているのは難易度調整です。先日、東日本大震災から12年ということで、災害安全も兼ねてみんなに地震のメカニズムの話をしたのですが、3年生に合わせると1年生は疲れてしまいます。そこでいちばん知ってほしいこと、面白いことだけを抽出して話しました。つい教師はしゃべりたくなっちゃうと思うのですが、そこはぐっと我慢。興味を持った子は自分で調べますから。こちら側が適切に認知負荷を調整していくことが大切だと思っています」(蓑手氏)

そのために気をつけていることがあると五木田氏が続く。

「一人ひとり違いますから、やはり普段の見取りが大切です。自由進度学習のとき、誰が何をやっていて、何ができないのか、どこでどのくらい時間がかかっているのか、どんな言葉に引っかかっているのか、どのくらい集中しているのか……。一人ひとりの子どもを全体的に見て、つかむようにしています。その情報量があるから、全員に話すときでも、『ここを話す』ということが見えるのです」

これは、いかに一人ひとりを見る時間と材料を得るかということだ。全員を集めて話す一斉授業のような時間を少なくしているのも、子どもたちへの声かけの時間が少なくなるから。それぞれを深く知るためのツールとして、ICTも大いに役立っているという。

「失敗が成長を生む」が子どもに浸透

では、シェルパはどのように関われば、子どもは伸びるのか。蓑手氏と五木田氏が大事にしているのが「85%」というキーワードだ。

「心理学では『85%の安心感と15%の挑戦』という割合が最適だと書かれた本を読んだことがあります。100%できるものをやり続けると思考停止になるので、チャレンジは必要です。しかし、難しすぎてもいけません。これまでの経験から僕も『能力を伸ばすには10問やったら1〜2問間違えるくらいの学習がちょうどいい』という実感がありました。好きなものも嫌いなものも、注意されたときに受け入れられる力も、一人ひとり違います。そこで、子どもたちが『85%の安心感と15%の挑戦』をできるよう、つねに調整し続けています」(蓑手氏)

それはまるで、音量ミキサーのメーターや車の速度計を85という数字に合わせるような感覚だという。100ではなく85。この数字にこだわるもう1つの意味を五木田氏はこう話す。

「子どもが『自分はここができている、ここができていない』と開示できる。そんな関係をつくるのが僕らの仕事だと思っています。テストで100点を取ることを是とすると、それ以外はダメなのかというとそうではありませんよね。僕らは『少しの失敗が見つかると成長ルートが見つかる』という考え方を一般化したいのです」

音量ミキサーのメーターや車の速度計を85という数字に合わせるような感覚で、声をかけて回るという

そう話す五木田氏には、とてもうれしかったことがあるという。

「『世の中には子どもが失敗すると怒る人がいるよね』という話になった時、ある子が『ありえない! 失敗しないと成長しないじゃん!』と言ったのです。理知的で繊細な子が当たり前にそう言ったのがうれしかったですね。周りの子も賛同していました。能力や学力を上げることは僕らの技術でできますが、そのマインドを身に付けるには、それ以上のものが必要ですから」

カオスの時間を経てできた理想の学校

この1年を振り返り、蓑手氏は言う。

「自由を掲げるからには、世間一般の大人が心配するように身勝手な行動や、傷つく子が増えるという最悪の想定もしましたが杞憂でした。想像以上に子どもは仕立てなくても学ぶ、学ぶことを面白がる。公立学校時代から考えていた『成長は快楽以外の何物でもない』という仮説のとおりでした。子どもたちの伸び方を見ていると、予想以上に理想的な場になっています。自由進度学習はトレーニングなのでしんどい時もあるけど、単純に成長することが楽しいからやるという姿、競争せずに友達の成長を喜ぶ姿が見られます。『今日は自由進度学習の時間が取れないや』となると、『えー!』とガッカリするほどです」

ただし、スタートからすべてがスムーズに進んだわけではない。

「ヒロックにはルールがない。子どもに言っているのは『多数決はやめてね』くらい。それもあって4〜5月はカオスでした。けんかやささいなことから『じゃあどうすればよかったのか?』をみんなで考え、学び、つくっていく。そんな『悠久の時間』があったからこそ、今があるのです」

4月には新しいメンバーが7名加わった

実際にこの1年やってみて、2人には「もっといける」という手応えがあるようだ。自己調整しながら自立して学ぶのは難しいと言われてきたが、ヒロックではできていて子どもたちも育っている。

こうして文化、土壌も醸成されてきたことから、今後は少しずつ新入生も受け入れる予定だ。4月には、新入生7名と新シェルパ2名を迎えた。

「新しいメンバーが入ってくると葛藤が生まれることもありますが、それもまた学びです。挑戦できる場であり続けることが大事だと思っています。ただ、手厚く見ていくには、Co-learner 12人にシェルパ1人を基準に考えています。今は20人に2人なので、人数はゆっくり増やしていこうと思います」(蓑手氏)

2人の小学校教員がつくった唯一無二のヒロック。子どもたちとともに、ヒロックという場も今後さらに進化していくことだろう。

(文:吉田渓、注記のない写真:東洋経済撮影)