ライフライン停止、迫り来る火災の中で368人の入院患者を守りきる-東日本大震災、その時、医療機関は《1》気仙沼市立病院

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 しかし、消火成功という幸運の後には新たな試練が待ち構えていました。夜が明けて一安心していたら、今度は古い病棟(東、南および西病棟)に電気を供給する自家発電機が異常な音を立ててうなり始めたのです。原因は通常3日(72時間)稼働が限度であるところを、5日間も休むことなく運転させ続けたことにありました、その結果、自家発電機はオーバーヒートして壊れる寸前になりました。もしそうなった場合、人工呼吸器を付けている患者の生命に危険が生じることが懸念されました。
 
 そこで人工呼吸器の患者を新しい病棟(北病棟および増築棟)に移して影響が出ないようにしつつ、一時、発電機を休ませた。ところが、止めてしばらくたった後に、今度は透析室から「水がない」との指摘が持ち上がりました。自家発電で動かしていた貯水槽のポンプが止まったためでした。これではまずいので、おそるおそるオーバーヒートした発電機を再び稼働させました。幸い、動き始めて貯水槽の水は満水になりましたが、いつ発電機が止まるかわからないという中で、稼働を続けさせました。

--危機はどうやって乗り越えたのでしょうか。

危機が続くさなかの3月15日午後2時ごろ、突然、外部電力の供給が再開し、事なきを得ました。その後、最初に携帯電話、次に固定電話が通じるようになりましたが、まだ、ガスは今も使えない。そのため、給食の調理に制約が出ています。
 
 この間、思いがけぬ支援もありました。震災翌日から3日間、NHKの記者が病院に張りつきました。その記者が取材の中で「今、病院に何が必要ですか」と問いかけてきました。私は「おコメさえあればにぎりめし、かゆでも命をつなぐことができる」と考え、テレビで「おコメをいただけるとありがたい」と答えました。すると、秋田県の個人農家から600キログラムのおコメが送られてきたのです。それを契機に1500キログラムのおコメをいただいており、患者さんもご飯を食べることができるようになりました。職員は自宅から電気釜を持ち寄り、ご飯を炊き続けました。その後、救援物資が入るようになりました。

--医薬品の調達はできましたか。

電話などの通信手段が使えない中で、医薬品を確保しなければならなかった。しかし、供給が途絶することはありませんでした。当院は「市内に営業所を持つ医薬品卸会社からだけ購入する」との方針に基づき、バイタルネットおよび東邦薬品の2社と取引していました。それら医薬品卸会社の職員が病院に常駐し、在庫を逐次確認しつつ欠品が起こらないように対応した。電話がつながらない中での困難な任務に当たっていただいた。

--人工透析患者は北海道の病院にまで移送されたと聞きましたが。

透析患者は3月17日に、県が用意したバスで仙台に移送し、翌日、仙台から花巻空港を経由して、花巻から自衛隊機で札幌まで移送することになりました。こうした転院手続きにより、震災前に約180人いた透析患者は、約70人を残すところまで減少しました。災害からの復旧途上でいつ、設備に不具合が起こるか分からないということに加えて、新たな入院患者の受け入れ余地を残しておきたいと考えたためです。

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