あの財界幹部が「11センチヒール」を履くワケ 驚嘆!吉田晴乃のブルドーザー人生

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でも、ここまで来たから言えるのかもしれないけれど、子育てっていろいろな形があっていいと思うんです。もちろん、子どもといつも一緒に過ごすことができればベストですが、それがかなわない環境ならば、お母さんが真剣に社会で生き抜く姿を見せることも一つの教育だと思っています。それが正しいかどうかはわかりませんよ。最終的に決めるのは子ども自身ですから。

ただ、どんな環境にあっても、お母さんはその瞬間その瞬間で自分がいちばん正しいと思う判断を下していけばいいのではないでしょうか。さまざまな場面で迷いながらお母さんが選んだことって、きっとベストチョイスなんだろうと今は思います。だから、いま伝えたいんです。「私もさんざん悩みながらきたけれど、どうやら結果オーライのようですよ」って。

もちろん、私自身も当時はそんなことわかりませんでしたよ。でも、シングルマザーでニューヨークに渡るというとてつもないことを”やっちまった”わけですから、それはもう必死でした。とにかく稼がなきゃいけませんでしたし。でも、それより何より、私にとっては通信業界での仕事がとってもおもしろかったんです。

当初、海外で子どもを育てながら働くことに、親はとても反対しました。学生時代の友人からも「なんでそんなことするの?」って言われました。それでも止められなかったんです。とにかくおもしろかった。通信の仕事がやりたくてやりたくて仕方がなかった。この思いがすべての源でした。

通信業界は毎日がエキサイティング

――吉田さんのキャリアはモトローラ・ジャパンから始まり、ずっと通信業界を歩んできた。

通信が自由化されて30年。その間とにかく進化の連続でした。電話会社と呼ばれていた時代から、今やICTだのクラウドだのと言われるようになり、グローバル化が進んだ。まったく新しい産業の最先端をつねに走っている感覚でした。すべてゼロから絵を描いていくという毎日で、本当にエキサイティングでした。

ロンドン、香港とのテレビ会議の様子。「日本企業のICTへの投資額は米英の半分。こういうテクノロジーをどんどん利用してフレキシブルワーキングを進めていくべき」(吉田氏)

モトローラに入社したのは、ちょうどイリジウム・プロジェクトが進んでいた頃です。宇宙に77個の衛星を飛ばして、砂漠からでも太平洋の真ん中からでも通信ができるという、とてもロマンチックなプロジェクトでした。もともと火が付きやすいタイプなので、「これこそが次世代通信のあるべき姿よ!みんなに早く伝えなきゃ!」と夢中になりました。私の営業スタイルはいつもこんな感じです。「これだ!」と思うことがあると、人に話さずにはいられなくなる。止まらなくなるんです。だから営業成績はいつも断トツでした。

営業の世界は数字がすべて。だから女性だからと意識させられるようなことはありませんでした。とにかく夢中だったので、「グラスシーリング(ガラスの天井)」という言葉さえ知らなかったんです。

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