バブル崩壊「総量規制」がもたらした大衝撃の記憶 いま振り返ると「住専問題」とは一体何だったのか

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金融機関の不動産融資の残高は、1989年の1年間で前年比30%も増加していた。その背景には、不動産業者のみならず、一般事業会社もこぞって不動産投資に血道を上げたという事情がある。また、同時に、ゴルフ場の会員券の価格も暴騰し、大和証券が大株主の茨城県にある筑波カントリーの会員権の価格が1億5000万円になったりした(バブルが弾けた後は100万円程度まで下落した)。

大和証券の子会社で、ゴルフ会員権の仲介業をしていた大和サンコーという会社があったが、そこの部長が「小金井カントリーの会員券に、4億2000万円の価格が付いた」と言って驚いていたのを思い出す。

「総量規制」で土地バブル崩壊

これが異常な状態であることは、誰もが気づいていた。マスコミはじめ世論も、一斉に銀行局に対し、不動産向け融資を規制すべしとの批判の声をあげた。そのような状況下で、大蔵省銀行局長・土田正顕は頭を悩ませていた。銀行の不動産業向け融資は伸びが止まらない。1989年12月に土地基本法が成立し投機的な土地取引の抑制が図られ、その第10条では「必要な法制上、財政上及び金融上の措置を講じなければならない」と規定された。

とくに問題となったのは、バブル期には年平均20%近い伸びを続けた不動産向けの銀行融資である。しかし、土田銀行局長は、当初は総量規制に反対の立場をとっていた。「自由化を推し進める傍らで、個別の融資について規制するのは筋が通らない」という考え方だった。

その土田局長を動かしたのが、世論の突き上げを受けていた海部俊樹総理である。海部は、1989年8月の内閣発足直後から地価対策を最重点施策に掲げていた。海部は、大蔵大臣の橋本龍太郎に検討を指示。橋本大臣も、大阪圏の50%を超える地価上昇もあり、総量規制の決断を土田局長に迫った。

結果、1990年3月27日に総量規制が「土田局長通達」として発出される。

その内容は、行き過ぎた不動産価格の高騰を沈静化させるために、金融機関の土地取引に対する融資の伸び率を抑えようとするもので、①不動産向け融資の伸び率を総融資の伸び率以下に抑えること、②不動産業、建設業、ノンバンクに対する融資の実態調査を実施するというものだった。この通達は、劇薬のような効果を発揮した。日銀の引き締め策とも相まって、土地バブルも崩壊の道をたどることになる。

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