本当の個性は、「圧倒的変態性」のことである 「常識の毒」は、薬に変えられるか?

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この記事は、テレビ、ラジオなど各種メディアで活躍する精神科医・名越康文の公式メルマガ「生きるための対話」からお届けします。(写真:Kuzma / Imasia)

いつの時代も、この世界には「常識を大切にせよ」というメッセージと、「常識を打ち破れ」というメッセージの両方が存在してきました。もちろん公には、非常識な振る舞いを戒め、常識に沿った生き方が推奨されていることは言うまでもありませんが、その一方で、「常識を打ち破れ」というメッセージもまた、私たちの周りにはあふれているのです。

「常識に囚われない非凡な発想」がなければ新しい商品、新しいビジネスは生まれないとか、「大会社のサラリーマンになるのではなく、独立して自由な働き方を模索せよ」とか、「常識的な結婚観や家族観に囚われず、自分なりの生き方を見つけよう」など……。こうした「常識を打ち破れ」というメッセージは、古今東西、繰り返し語られてきたものです。

さて、では常識というのは守るべきものなのか、それとも、打ち破るべきものなのか。どちらなのでしょうか?

「常識」との付き合い方をきちんとわきまえよう

当記事はプレタポルテ(運営:夜間飛行)の提供記事です

僕のカウンセリング経験を振り返ってみると、確かに「常識」という枠組みによって苦しんでいる人というのは少なくないだろうと感じます。学校や会社に毎日、決められた時間に通うこと、結婚し、家族をつくること、お金を稼ぎ、家族を養うこと……さまざまな常識や規範からこぼれ落ちることへの恐怖心が強いストレスとなり、追いつめられてしまう人というのは、いまでもたくさんおられるはずです。

そういう意味では、僕は「常識を打ち破れ」というメッセージに賛成です。少なくとも、常識の枠に自分を無理に押し込めて苦しんでいる人には、常識から解き放たれることは重要な一歩となると考えています。

というのも、僕たちは一人ひとり、個性を持って生まれて来た存在だからです。それを常識の枠に押し込めてしまうことは、ひとつの才能をつぶすという意味で社会的な損失だと思いますし、その人が充実した人生を送るためにも、大きなマイナスになってしまうでしょう。

ただ、だからといって、ただ常識を無視すればそれで済むほど、話は簡単ではありません。常識とのつきあい方というものをきちんと学ばなければ、僕らは結局は、生まれ持った個性を十分に活かすことができない。実は僕は、そう考えているんです。

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