「壮絶な卒業試験」38年戦う武藤敬司が今語ること レスラー、経営者…「3つ以上の顔を持つ男」の軌跡

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「武藤敬司の一番のライバルは、グレート・ムタ」

武藤は1984年に新日本プロレス入門し、38年のレスラー人生を通じて、壮大な記録を打ち立ててきた。獲得タイトルは、IWGPヘビー、3三冠ヘビー、GHCヘビー、「プロレス大賞」MVPを4度獲得し、海外でもグレート・ムタとして活躍した。

キャリアの大半をメインイベンターとして務め、プロレスを“作品”と呼び、常に傑作を目指す、揺るぎないプロレス哲学を持っている。188cmの長身と柔道のキャリアを兼ね備えてリング上で魅せる、抜群のセンスと天才的なひらめきの原点はどこにあったのか。

「俺は、新日本プロレスで生まれ育ったんだけど下積み時代が短くて、デビューの翌年にアメリカへ行ってるんだ。そこでプロレスビジネスを学べたのが大きかった。俺がアメリカでフィットした理由は、先輩後輩という年功序列がないうえに、大型のパワー系選手ばっかりで、俺みたいにムーンサルト(月面水爆)やアクロバットをやれる選手もいなくて重宝されたんだ。実際、行ってすぐフロリダ地区のベルトも取れたからね。当然、ギャラも良かったよ」

武藤の活躍はすぐにアメリカで広まり、メジャー団体であるWCWからスカウトされる。WCW側は、武藤に対して「ヒールとして活躍するには童顔過ぎるから、顔にペイントを塗ってくれ」と注文をつけた。

言われるがままに顔をペイントで塗り、筆で「炎」「忍」と顔に書いた。成り行きでの始まりだったが、武藤のもうひとつの人格、“悪の化身” であるグレート・ムタが誕生した瞬間だった。

(写真提供:ノア)

「武藤敬司の一番のライバルは、グレート・ムタなんだよ」と武藤が語るように、グレート・ムタは、誕生してからあっという間にアメリカのプロレス界で躍動していく。

ヒールレスラーとして毒霧を吹き、華麗なムーンサルトや忍者ポーズを決める姿でリング上を席巻。その姿が毎週テレビのプライムタイムに放送され、全米で大ブレイクを果たす。

「世界中のどこを探してもいない。グレート・ムタはオンリーワンなレスラー」とアメリカのプロレスファンの心を掴むことに成功した。

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