皇后が近代天皇制の中で果たした役割とは? 原武史×奥泉光「皇后たちの祈りと神々」

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:原因不明の病で、どんどん体調が悪化していく。そのとき皇后は精神的な危機に陥った。大正10年(1921)には政治的な都合で半ば強引に皇太子裕仁が摂政になる。皇后としては、とにかく天皇の病気が回復してほしい、そのために祈る、という思いが強くあったでしょう。

それがやがて「神ながらの道」のような、一種の神懸かり的な強烈な信仰につながり、このことが昭和天皇との確執を生み出す原因にもなったわけです。

「天皇霊」の問題

原 武史(はら・たけし)●1962年生まれ。明治学院大学教授。著書に『大正天皇』(毎日出版文化賞)『昭和天皇』(司馬遼太郎賞)『「民都」大阪対「帝国」東京』(サントリー学芸賞)『滝山コミューン一九七四』(講談社ノンフィクション賞)など。

奥泉:『皇后考』を読んで僕がいちばんおもしろかったのは、近代の天皇制を支える正統性がいかに多層的で複雑だったかという点です。万世一系という血のフィクションがあって、それを国民が支持した、という単純な話ではないんですね。今回の本では、特に「天皇霊」の問題がクローズアップされています。

:折口信夫は、天皇の本質は血筋ではなく「天皇霊」を授受することだと考えました。つまり、霊そのものが入ってくれば、誰でも天皇になれるというラディカルな思想です。大本教の出口王仁三郎もそれにかなり近い考えを持っていて、弾圧を受けています。

奥泉:それは政府にとって非常に危険な思想ですよね。ほかにも「三種の神器」の継承の問題があり、儒教的な「徳」という要素もあり、さまざまな正統性が交錯する磁場のなかに天皇制があった事実が描き出されている。とても魅力的な視点だと思いました。

:正統性の根拠が一元的でなかったからこそ、そこに皇后が入り込む余地があったとも言えますね。たとえば、大日本帝国憲法第一条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定しながら、歴代の天皇は大正末まで確定していませんでした。イデオロギーに見合う実態は、その段階まで未完成だったわけです。そういう文脈の中で、貞明皇后の振る舞いを理解する必要があります。

奥泉:つまり、貞明皇后が、神功皇后(仲哀天皇の妃、応神天皇の母。いわゆる三韓征伐をした伝説上の人物)と自分を重ね合わせて、極端に言えば天皇になり代わろうとしたわけですよね。読みながら僕は最初とても驚いたんだけど、その可能性は現実にあったんですね。

:貞明皇后は、大正11年(1922)に神功皇后を祀った福岡県の香椎宮まで行って、大正天皇の平癒を祈願しています。平伏の時間は20分近くにおよび、神功皇后の霊と自分が一体になることを祈願する歌まで詠んでいる。まるで「皇后霊」の授受を信じている感じです。折口の考えをいちばん忠実に継承しているのは、ほぼ同じ時代を生きた貞明皇后なのではないかという気もします。

奥泉:大正末期に歴代天皇の系譜を確定するにあたって、神功皇后を天皇に列するかどうかが大問題だったことが、本書の冒頭に出てきます。今日の目から見ると、どちらでもいいような気がするけれど、当時は非常にアクチュアルな政治問題だったと。

:そうとう緊迫していたと思います。

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