北京ダックや肉まん…「中国の食」の奥深い歴史 歴史を知ると中国時代劇の楽しみ方が広がる

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贅沢な食事は、それだけで富貴と満足感を得られやすい。王や皇帝が山海の珍味を取り寄せて贅を尽くすというのは、古代から行なわれてきた。もっとも、古代の料理は調理法も限られており、現在ほど多彩ではなかった。基本的には煮る、焼く、そして羹(あつもの)と膾(なます)くらいしかない。

羹は、肉や野菜を煮出したスープのことだ。代表的なのが羊を煮込んだ「羊羹(ようかん)」で、スープが冷めてゼリー状の煮こごりになったものが日本に伝わった。ただ、肉を食べない禅僧から伝えられ、日本では小豆が代用された。これが和菓子の「ようかん」になったという。

膾は生肉や生魚の料理である。現在の中国では火を通さないものは食べないが、これは元代以降のことで、古代には生ものも食べられていた。「羹に懲りて膾を吹く」ということわざは、熱い羹でやけどをしたのにこりて、冷たい膾を吹いてさまそうとする無意味な行動を指す。

上流階級の料理と庶民の料理

宮中の料理も庶民の料理も主食には差異はない。北方は麦が主食で、漢の時代には練った小麦粉を醱酵させたパンや、麵が誕生している。また、西域からは薄いパンを焼いた胡餅(こへい)が伝わり、後漢の12代霊帝の大好物だったことから貴族の間で流行し、やがて庶民にも広まった。

時代劇でよく見る饅頭の起源には、三国時代の名軍師・諸葛亮が関わったとされる。蜀(しょく)の宰相となった諸葛亮が、南征から帰る途中、河川の氾濫を鎮めるために、人身御供となる人の頭を切って川の神に捧げる風習を見かける。そこで諸葛亮は、小麦で練った皮に羊や豚の肉をつめ、人の頭に見立てて川に投げ込んだところ、氾濫が鎮まったというのだ。

肉まんと三国志の意外なつながりだが、南方では米が主食であり、小麦粉料理の饅頭は北で生まれたという説もある。南方では炊いたご飯のほか、粥やちまき、炒飯(チャーハン)などの米料理が発達していた。他にも、アワやヒエなどの雑穀も食べられていた。

ただ、主食以外では、富裕層と庶民では食べる料理にも違いがあった。庶民の食材は豚や鶏が一般的で、富裕層は羊やアヒルを好んだ。とはいえ、それも時代や地域性で変わってくる。遊牧民による金や元では、羊はむしろ身近な食材だった。逆にアヒルは南方で使われていたが、明代に北京に伝えられる。高級中華料理の代表とされる北京ダックは、そもそも南方由来のアヒル料理が進化したもので、生まれたのは清代末期とむしろ最近の料理だ。

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