筑波大卒の世界的漫画家はどう生まれたか 自分を評価してくれる人との出会いを大切に

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高浜:1冊目の本を出した後に、フランスの漫画祭に行ったんです。そこで幸いなことにすごいビッグネームな人たちと一緒にご飯を食べたり、いろいろ話を聞かせてもらったりというチャンスをもらったんですね。その後、連絡を取り合うようにもなりました。だから描き方、たとえば単純に色の塗り方とか、カラーの変換の仕方とか、パソコンの設定とか、そういうことを全部向こうの人に教わったんです。

「描き方や、単純に色の塗り方とか、カラーの変換の仕方とか、パソコンの設定とか、そういうことを全部向こうの人に教わったんです」

塩野:もともとフランスに対する興味があるとか、フランス語ができるなど、バックグランドがあったのでしょうか?

高浜:大学の時に1カ月語学留学のためにパリにいたんです。おばあちゃんのところにホームステイしていました。

塩野:私的な話なのですが、私の妹も、同じような状況でフランスにステイしていました。おばあちゃんのところに。Vichy(ヴィシー)っていう街でしたけれども。おばあちゃんが食事をどんどん作るので、肥えて帰ってきましたよ。

高浜:そんな感じです。「もう食べきれないから作らないで」って言っても、「食べたほうがいい」って。「胃が悪いから」って言ってもどんどん出てくるんですよね。

塩野:では、フランスとはそういう縁もあって、言葉もお勉強されていたんですね。漫画を仕事にしようというのはいつ頃思われたんですか。

とりあえず賞に応募して仕事が決まった

高浜:言うのが恥ずかしいようなことなんですけれど……。私、大学で勉強もしなかったし、世の中のことも知らないし、あまり「売り」がなくて、就職活動しても、全然、企業に受からなかったんです。そんな頃、友達と一緒に飲みながら、ふざけて漫画を描いていたんですね。すると、友達が「それ面白い」って言って、講談社の『モーニング』の担当さんに見せる約束を取り付けてきたんです。

塩野:なるほど、いい話ですね。

高浜:ザラ紙に描いていたので、さすがにこれでは出せないから、ケント紙に描き直してですね。持っていったら、「とりあえず賞に出してみよう」と言われて、賞を取ったんですよ。その時に、就職先というにはちょっと不安定ですけど、とにかく仕事が決まったということですね。

塩野:すばらしいですね。

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