同期入社の新人研修が担う強烈な仲間意識の形成 小田嶋隆「それほど、われわれは、友だちにヨワい」

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これには参った。

私自身は、最初から最後まで、うんざりしていた。

そもそも、研修屋から与えられた19世紀の心理学実験みたいなぞんざいな試練を、その意味を問うこともせずに、いきなり所与の現実として受け容れてしまっている同期の連中のあまりといえばあまりな考えの浅さが、私には受け容れがたかった。

ところが、研修は粛々と進行し、同期社員たちは、徹夜で怒鳴り合い、早朝ランニングのコースを走り切り、レポートを書き殴り、食事の合間に議論を蒸し返したりするうちに、結局、団結を深めていた。

河川敷の土手で思い切り殴り合った後に、肩を抱き合って意気投合する青春ドラマの中の学ランの高校生みたいに、われわれは、作られた対立のそのすぐ後で、心から打ち解けた仲間みたいなものになっていた。

なんという軽薄な団結であったことだろう。

戦友はまたと得がたい至高の存在に

試練は、人間を結びつける。

たとえ、その試練が、穴を掘って穴を埋めるみたいな無意味な作業であっても。あるいは、共にくぐり抜けた試練が無意味であればあるほど、若い人間は、強い絆を獲得するものなのかもしれない。

まあ、軍隊経験みたいなものだ。

戦争が最悪の経験で、軍隊が唾棄(だき)すべき場所であるのだとしても、同じ釜の飯を食った戦友は生涯の中でまたと得がたい至高の存在になる、と、これは、そういうスジのお話なのかもしれない。

とはいえ、人工的な環境の中で強制的に着床された友情は、やはり、一定の時間が経過してみると、ウソみたいに希薄になっている。当然だ。

なので、研修プログラムは、3年毎のフォローアップ研修を永遠に続けるカリキュラムを組むことで友情の摩耗に対応している。私が所属していたその会社では、どこの支店に勤務していようと、どの部門でどんなふうに出世していようと、同期社員は、3年に一度、必ず、合宿研修で顔を合わせる設定になっていた。だからなのかどうなのか、私がいたその会社では、同期の結びつきは、非常に強固だった。

おそらく、このシステムをもう一歩進めて、研修の頻度と強度を極限まで高めれば、カルト宗教みたいなものができ上がると思う。

実際、さるカルトにいたことのある知り合いによれば、教義に疑問を抱き、幹部の体質に不信感を抱き始めた信徒を、最後まで教団に結びつけて離さないものは、つまるところ、「友情」なのだという。

「っていうか、○○会の外に出ると、友だちなんか1人もいなかったわけです」

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