沢木耕太郎が25年かけて書いた密偵の長大な旅路 彼が「天路の旅人」を何としても世に出したかった訳

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あとから思い返して弄んだり誇ったりという発想とは程遠い、その一瞬の純度、一瞬の輝き。確かにそういうありようが、かっこいい。どうだろう、それに比して、われわれの人生は随分と濁っちゃいないだろうか。

あれがあったから、書くことを諦めなかった

沢木は、西川との直接のインタビューの中で、お互いのインドでの旅の記憶が交差した瞬間を忘れることができないと言った。沢木も西川も、ブッダガヤの菩提樹の同じ大木の下で、太鼓を叩く男の姿を覚えていた。時期的には30年の差があるから、同じ男かはわからない。ただ状況を考えれば、その可能性は低くない。

(撮影:梅谷秀司)

「だから僕は、諦めなかったんだと思う。そのことの衝撃というか、驚きがあったので、長い年月が流れても心に残って、いつかはやっぱり書きたいと思い続けていた。もしかしたら同じ人を何十年かの差で、同じ場所で旅をしている僕と、旅をしていた西川さんが見たかもしれないっていうことは、ある種の幻想、イマージュみたいなものだね。西川さんも途中で旅を辞めざるをえなくて日本に戻ってくるし、僕もロンドンからドイツやなんかフラフラして、ロシアを経由して日本に戻ってくるけれど、何か西川さんはあのまま背負子を背負って旅をしているような。僕も同じようにユーラシアを、バックパックを担いで旅を続けているような。なんか、若い西川さんと若い僕、2人はあのユーラシアをまだ旅をしているかもしれないっていう、本当にわずかな幻想に近い感じを持ってることも、書くことを諦めなかった1つの理由でもあると思うんだよ」

天路の旅人
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沢木は、『深夜特急』の頃の自分の分身がまだユーラシアを歩いているような、歩いていてもいいような、そんな感じを抱いているのだと言った。「あの時代に戻りたいとかじゃなくて、ただ単純に僕らのような若者が、その分身が、まだあの辺りを歩いて旅を続けていてくれるっていうことに、何かある種の安堵感というか、喜びは感じたりするね」

旅は人生だというのが、沢木の教えだ。西川一三のような、沢木耕太郎のような、旅する魂を共有する「僕らのような若者が」、今もユーラシア大陸を、天の路を行く。沢木は笑った。「西川一三の思いをちゃんと背負って、ちゃんとそれに従えているかはわからないけれど、この本を書いた。それはあとがきにも書いたとおり、この本をまた読む人がいたら、旅の海図のようなものになってくれればいいと思ったんだ。だけど海図にしちゃ、厚すぎるよな(笑)」

河崎 環 フリーライター、コラムニスト

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かわさき たまき / Tamaki Kawasaki

1973年京都生まれ、神奈川県育ち。桜蔭高校から親の転勤で大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での暮らしを経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、企業オウンドメディア、テレビ・ラジオなどで執筆・出演多数。多岐にわたる分野での記事・コラム執筆をつづけている。子どもは、長女、長男の2人。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)。

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