旧統一教会「マインドコントロール」救済案の危険 オウム真理教の裁判で否定されたものが登場

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この弁護側の主張するマインドコントロール論を主に支えたのが、西田公昭・立正大学教授だった。西田氏は、河野太郎・消費者担当大臣が旧統一教会の問題をめぐって8月に設置した「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」のメンバーでもある。この報告書の中にもマインドコントロールという言葉が盛り込まれている。

西田氏は当時、被告人の公判に意見書を提出し、本人も証人として法廷でオウム真理教におけるマインドコントロールについて証言したほか、鑑定作業も行っている。

このマインドコントロールを明確に否定した判決が1997年5月28日に東京地裁で言いわたされている。被告人は教団内における自動小銃密造にかかわり、武器製造法違反の罪に問われた。少し長いが、判決がマインドコントロールに言及した箇所を引用する。

我が国の数少ないマインドコントロールの研究者(心理学専攻)の一人である証人西田公昭の当公判廷における供述および同人作成の意見書によれば、マインドコントロールとは、「他者が自らの組織の目的成就のために、本人が他者から影響を受けていることを知覚しないあいだに、一時的あるいは永続的に、個人の精神過程や行動に影響を及ぼし操作することである」とされ、関係各証拠によれば、教団においては、意図的か否かはともかく、出家信者に対し、教義を浸透させるため、マインドコントロールに有効とされる種々の手法と共通する手法が用いられていたことが認められる。
もっとも、西田証人は、ある者に対してマインドコントロールの手法がとられていた場合、その者がマインドコントロールされていた可能性があるということはできるが、そのような状態にあったと客観的に判断することは困難であり、また、他者が意図した結果が生じた場合でも、それがマインドコントロールの結果かどうかは判定できないと証言するとともに、マインドコントロールされた状態は、精神病でないことはもちろん、神経症でもなく、恐怖症に近い場合もあるが、被告人はそのようなレベルではない。
マインドコントロールにおいては情報のコントロールの果たす役割が大きいところ、それは個人の能力の問題ではなく、被告人も与えられた情報を論理的に処理して意思決定する能力や倫理観はあると思うが、日本の法律よりオウムの法律を優先させたものと思う、とも証言しており、同証言によればもちろん、他の証拠に照らしても、マインドコントロール下にあったということから直ちに責任能力の欠如またはその著しい減退を結論づけ得るとは言い難い。

さらに被告人は、自分が作っているものが銃の部品であることを認識していたこと、そのうえで違法性を十分認識しつつ、教団に対する信仰心から正当化したにすぎず、判断能力や自己決定能力が阻害されていたとは認められないとして、懲役2年6月の実刑判決を言いわたされている。

マインドコントロールの客観的な判断は困難

また、地下鉄にサリンを撒いた被告人に、東京地裁が1999年9月30日に言いわたした死刑判決には、こうある。

マインドコントロールの点であるが、弁護人の主張をそのまま採用することはできないとしても、松本が、信者、とりわけ被告人ら幹部信者に対し、説法、薬物を利用した修行、神秘体験等を通じ、あるいは、睡眠時間や食事を制限した極限の生活環境を強いることにより、徐々に尊師である松本の指示を絶対視し、その指示に疑念を抱くのは、自己の修行が足りないものと思い込ませるなどして、松本の命令に従わざるを得ないような心理状況に追い込んでいったことに照らすと、被告人が、松本や村井から、本件各犯行を指示された際に、それに抗することは心理的に困難であったことは、否めない事実である。
この事実は、責任能力や期待可能性の存否に影響を与えないとしても、被告人にとって、一定限度では酌むことができる。しかしながら、翻って考えてみるに、まず、松本が説く教義や修行の内容は、およそ荒唐無稽なものであり、教義の中にはポアと称して人の生命を奪うことまで是認する内容も含まれ、また、松本から指示されたいわゆるワークは、約一〇〇〇丁の自動小銃の製造など著しい反社会性や違法性を有するものであって、通常人であれば、たやすく、松本やオウム教団の欺瞞性・反社会性を看破することができたというべきである。
ところが、被告人は、このような契機をいたずらに見過ごし、自己の判断と意思の下に、オウム教団に留まり続け、遂には地下鉄サリン事件を迎えたものであって、いわば、自ら招いた帰結というべきである。そうすると、前述の事実は、被告人にとって、それほど有利に斟酌すべき事情とはいえない。

刑事裁判では、個々の被告人が裁かれているのであって、それぞれの事情に合わせて検討されていることではあるが、重要なのは西田氏が証言しているように「ある者に対してマインドコントロールの手法がとられていた場合、その者がマインドコントロールされていた可能性があるということはできるが、そのような状態にあったと客観的に判断することは困難であり、また、他者が意図した結果が生じた場合でも、それがマインドコントロールの結果かどうかは判定できない」とする点と、刑事責任能力を問うほどに是非弁別能力を失ってはおらず、信仰心を優先させたとする点だ。

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