トルコが中東地域で孤立感を深める理由 イスラム国とトルコの複雑な関係

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――トルコは数年前からPKKと和平交渉を進めているのでは?

PYDはPKKとつながっていて、PKKはイスラム国と同じテロ組織だという。そのPKKのオジャラン党首(トルコで服役中)とトルコ政府は、2012年末から和平交渉を続けています。実際は、国外で2005年以来秘密交渉が行われており、公正発展党(AKP)政権は、和平交渉締結を最重要課題と位置づけてきました。

2014年9月、イスラム国に解放された人質を出迎えるアフメト・ダウトオール首相(写真:Abaca/アフロ)

――コバニを巡るスタンスと矛盾しますね。

確かにそうですね。クルド人は、トルコの南東部からイラン、イラク、シリアにかけての一帯に住んでいて、分離独立を掲げて各国政府に対する武装闘争を行ってきました。PKKもトルコ軍と1984年以来双方に4万人の死者を出す武力衝突を続けて来ましたが、1999年にオジャラン党首が逮捕され、2005年から和平交渉が始まると、PKKの要求はトルコ国内での自治拡大に変化しました。交渉が大詰めを迎えた時期にイスラム国が台頭し、コバニの攻防が始まり、トルコはクルド支援に動きませんでした。

――PKKは怒ったでしょう。

交渉当事者のオジャランPKK党首は「コバニ陥落は交渉打ち切りを意味する」と警告、南東部では政府の方針に怒ったクルド人の若者と治安部隊の衝突が頻発し、50人以上が死亡しました。コバニの攻防は相互に対立していたイラク、シリア、トルコ、さらにイランのクルド人をひとつにし、強い民族的連帯感が生まれたといわれています。もしそこでトルコがクルド支援に動いていたら、トルコはクルドの信頼を獲得し、和平交渉の進展のみならず、周辺国のクルドへの影響力も増大したでしょう。ところがまったく動こうとしなかった。動けない理由があったとしか考えられません。  

――トルコ軍は2月22日にシリア領内で軍事作戦を行いましたね。

そのとおりです。コバニから37キロメートル南のユーフラテス河畔にあるオスマン帝国開祖の祖父「スレイマン・シャー」の墳墓と警備の兵士38人を撤収させたのです。墳墓は、シリアの旧宗主国フランスとの条約でトルコに認められた飛び地領にありましたが、イスラム国に包囲されていました。戦車や装甲車が約100台、特殊部隊を含め約600人が参加する大規模な作戦でしたが、兵士1人が事故死した以外、イスラム国との衝突もなく終了しました。

「ゼロプロブレム外交」が提示した「トルコ・モデル」

――トルコの対シリア政策はよくわからない点がたくさんありますね。そもそもAKP政権は、中東アラブ諸国とどのような関係を築いていたのですか。

2002年に誕生したAKP政権は、国際政治学者のダウトオール現首相(2009~2014年:外相)をエルドアン首相(当時)の外交顧問に迎え、周辺国との「ゼロプロブレム外交」を推進しました。従来から緊密だった欧米との関係に加えて、中東アラブ諸国との関係強化を図ったのです。

トルコは1923年の建国以来、政治と宗教の分離、いわゆる世俗主義を徹底し、西欧化政策を取ってきましたが、イスラム色の強い政党であるAKPは、大きく方針を転換したのです。AKPは2007年、2011年の総選挙でも得票を伸ばして安定した単独政権を維持しています。

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