きっかけは、コロナ禍と「STEAM教育」の視点

「ボーカロイド教育版II for iPad」は、いわゆる「ボカロ」(※)を学校の授業で使えるように改良したデジタル音楽教材だ。思い浮かんだメロディーをブロックのように並べて歌詞を入力するだけで曲が完成するので、楽譜が読めなくても簡単に作曲できる。

歌声は日本語の女性声と男性声、英語の女性声の3種類から選ぶことができ、楽器の音色はピアノ、箏(そう)、リコーダー、ギターのほか、10種類の打楽器音の使用が可能だ。和音も作成できるので、オリジナルの伴奏をつけることもできる。

※ VOCALOID(ボーカロイド)の略。ヤマハが開発した歌声合成技術とその応用ソフトウェアのこと

「ボーカロイド教育版II for iPad」の音楽制作画面

愛知県岡崎市の小中学校にこのボーカロイドが導入されたきっかけは、新型コロナウイルスの感染拡大にある。「コロナ禍によって音楽の授業では以前よりも歌う時間が少なくなってしまった。そこで、ボーカロイドを活用して創作に取り組むとよいのではと思ったのです」と、同市立南中学校(以下、南中)音楽科教諭の坂井滉平氏は振り返る。そして、坂井氏も所属する岡崎市現職研修委員会の音楽部が教育委員会にこのアプリを提案、その結果、市内のすべての小中学校に導入されることとなった。

「そもそも岡崎市には、当時からSTEAM教育を大切にしようという視点がありました。日本では音楽や美術の授業数が昔に比べて減っていて、私も子どもたちの創造性を育むべく、芸術科目は他教科やICTと連携した学びをつくっていく必要があると考えています。実際、2021年度はそういったSTEAM的な授業ができたのではないかと思います」(坂井氏)

国語や美術とリンクした「教科横断型の授業」も可能に

全学年、操作方法の習得からスタートしたが、大きな混乱はなかったという。「最近の子はデジタル機器の操作に長けているので、最初は戸惑っていても少し触っただけでどんどん自ら機能を学んでいきました」と、坂井氏は話す。

学年ごとに異なるテーマに取り組んだというが、具体的にどのような実践が行われたのか。

中学1年生は3学期、4~5人のグループで、春に入学予定の新入生に贈る「南中のステキソング」を制作した。ボーカロイドに収録されている豊富な伴奏データから好きなものを選び、その和音に合う音を選ぶ形でメロディーを作成。歌詞は学校生活ですてきだと思ったことをつなぎ合わせた。そうやって完成した曲はQRコードにして校内に掲示し、新入生だけでなく誰でも聴けるようにした。

このときに作ったあるグループの曲は、ヤマハ主催の「ボーカロイド教育版作曲コンテスト~ボカロ甲子園2021~」の「中学校高等学校部門Bカテゴリー」で優秀賞を受賞。歌詞を英語にし、同じメロディーを繰り返すなどの工夫が評価されたようだ。意外なことに受賞グループのメンバーは、これまで音楽の授業で目立っていた生徒たちではなかったので、坂井氏も驚いたという。

岡崎市立南中学校 音楽科教諭の坂井滉平氏

中学2年生は国語の授業で習った俳句に、ボーカロイドで曲をつける課題に取り組んだ。歌詞は俳句の17文字とし、言葉を付け足すことはNG、繰り返すことはOKとした。

生徒は好きな俳句を選び、その世界観や風景を表す画像をタブレット端末で検索。そこから広がったイメージを基に曲作りを進めたところ、雪を鈴の音で表す、動物が登場する部分はリズムを速くする、前奏・間奏・後奏もつけるなど多彩な表現手法が見られた。

「2年生は既存の伴奏データを使わずに一からメロディーを作ったので、より自由に創作できたのではと思います。俳句なので通常はごく短い曲になるのですが、はまってしまって1分くらいの長さになった子もいました」と、坂井氏は笑う。

また、言葉のイントネーションに合わせて曲を作るなど、言葉にこだわるよう指導したところ、気に入っている言葉を繰り返す、スピードや音の高さに変化をつけて言葉を強調するなどの表現も多く見られたという。こうした創作のポイントは、実際に手を動かして作曲してみるからこそ学べる点だろう。

中学3年生では、美術とリンクした授業を展開した。まず生徒たちは美術の授業で、自分の性格や部活、好きなものなどをピックアップしてイメージマッピングを作成。それを基にそれぞれ自分のオリジナルアイコンを制作した。

音楽の授業では、そのアイコンに合わせた10〜15秒の自分のサウンドロゴを作ることに。イメージマッピングの情報から歌詞を作り、既存の伴奏データに合わせてメロディーを制作。最後は完成した曲をみんなで聴き合った。

もう1つ、卒業制作として3年間の思い出を歌にする活動も行った。歌詞は行事の思い出、友人とのエピソード、教師への感謝などさまざま。曲の中身も長さも自由にして、生徒それぞれに任せた。「楽器をフル活用して伴奏から歌まですべて自力でアレンジした子など、かなりレベルの高い作品もありました」と、坂井氏。完成した曲はクラスごとにCDに収録し、卒業の記念として手渡した。

個人の制作はヘッドホンをしながらの単独作業になるため、毎時間1回はペアやグループでアドバイスし合う活動を設けたという。

制作中はヘッドホンをして作業に集中(左上・右上)。協働的な活動を必ず取り入れる(左下・右下)

「自分と対話しながら創作に没頭する時間も大切ですが、他者の意見を聞いて自分の考えを深めて広げることも重要です。1人だと『何をしたらよいのかわからない』と困ってしまう子もいるので、孤立せず質問や相談ができるよう、協働的な活動とのバランスは意識しました」(坂井氏)

授業の幅を広げるボーカロイド、思わぬ才能発掘も

ボーカロイドによって、音楽の授業の幅が広がったと坂井氏は言う。中学校の学習指導要領では、音楽は鑑賞、歌唱、創作、器楽の4つの活動で構成されている。今までは歌唱と鑑賞がメインで合唱コンクールに向けた授業が多かったが、ボーカロイドの導入で創作の実践がやりやすくなったそうだ。

「これまで生徒は音やリズムを作れても、それを歌や演奏で表現することができませんでした。しかしボーカロイドは、作曲の工程も視覚的にわかりやすいため取り組みやすく、歌も演奏もやってくれます。やりたいことをうまく再現してくれるから、音楽や歌が苦手な子も『楽しいな』と感じられたのでしょう。音楽にあまり縁がなかった野球部の生徒がすばらしい曲を作ってみんなに称賛されるなど、才能の発掘にもつながっています。ボーカロイドとの出合いを機に『これから音楽を頑張ろうかな』と言ってくれた子もいました。また、作り手の意図や思いを想像するなどの気づきも得られたのではないかと思います」

坂井氏自身も、国語や美術との連携を通じて、他教科の教員との会話から自身の授業の参考になるアイデアを得るなど学びを広げることができたという。

一方、いくつかの課題も見えた。ボーカロイドは誰もが使いやすい反面、作曲の過程では楽譜が表示されないので、楽譜を読み取るスキルが身に付かない。歌唱や演奏の際、楽譜から得られる多くの情報が重要になるため、今後はそこをどう結び付けるかが課題だ。

また「ボーカロイド教育版II for iPad」は、本家のボーカロイドに比べて楽器や声の数が少なく設定されており、作れる曲の長さにも制限がある。機能がシンプルすぎるため物足りなさを感じる生徒もいるという。

機能に関してはアップデートに期待したいが、南中では今後どのようにボーカロイドを活用していくのか。坂井氏は次のように考えている。

「2021年度はコロナ禍で歌唱が制限されたこともあり、年間の音楽授業の4割でボーカロイドを使いました。コロナ対応の変化から今年度の活用は2~3割の計画ですが、国語との連携や卒業制作は引き続き実施します。視覚的なわかりやすさを生かし、音の長さや高さなどの基礎学習への活用も検討しています。行事などの特別活動はもちろん、総合的な学習の時間や英語の時間などとも連携して面白い授業ができるのではないかと思います」

(文:酒井明子、写真:岡崎市立南中学校提供)