24時間テレビ「二宮和也ら4人起用」の画期的意味 番組とジャニーズの「歴史」も振り返ってみる

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また、番組のエンディングで、各系列局と中継をつなぎながら出演者がステージで歌う番組のテーマソング「サライ」も、この年誕生した。視聴者から寄せられたメッセージをもとに谷村新司が詞にまとめ、加山雄三(弾厚作)が作曲した。

この「サライ」の企画もそうだが、出演者が次々と歌を披露するなど現在のように音楽が番組の中心の1つになったのも、この年からだ。そうした音楽路線への変更は、メインにジャニーズを起用する土壌を整えることにもなっただろう。

なぜ、SMAPがパーソナリティーになったのか

ジャニーズが番組の中心として登場し始めるのは、1995年からである。SMAPが番組パーソナリティーに就任。この年は、久しぶりに募金総額も10億円を突破した。

ここで、「1995年」という年に注目しておきたい。この年は、いうまでもなく1月に阪神・淡路大震災が発生した年だった。マラソンランナーが1992年、1993年に続いて間寛平だったのも、その点に関わっている。関西在住の間自身も被災し、自宅を失っていた。そこで被災地を元気づけたいという思いのもと、神戸から東京まで1週間かけてなんと600kmを走破した。

そんな1995年にSMAPが起用されたことは、偶然ではない。

1995年1月20日、阪神・淡路大震災の発生直後の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)の生放送に出演したSMAPは、当初予定された曲目を変更し、歌う前に木村拓哉と中居正広が被災者へのメッセージを語ったうえで、「がんばりましょう」を披露した。

それは、SMAPが“社会に寄り添うアイドル”という、それまでにはないスタイルを切り拓く大きな一歩となるものだった。

そうした姿勢を示したのは、ジャニーズのなかでSMAPだけではない。同じ阪神・淡路大震災について言えば、J-FRIENDSの活動も有名だろう。

1997年12月、関西出身者がメンバーにいるTOKIO、V6、KinKi Kidsの3グループで結成されたユニットで、CDリリースやライブをおこない、その収益の一部を寄付したり、チャリティーイベントや募金の呼びかけをおこなったりするなどした。

こうして、1990年代中盤ごろを境に、被災者への支援活動、チャリティー活動などを通じ、ジャニーズによる社会貢献の姿勢が明確になり始めた。それがテレビという場面においては、『24時間テレビ』との関係の深まりにつながったと言える。

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