東京マラソンで中年オヤジがつかんだもの 「走ること」はこんなにも素晴らしい!

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――お二人は「仕事で悩みを抱えているときにランニングを続けた」という共通点があると。

江上:走り始めたときは、僕自身、たいへんな時期にありました。金融コンサルタントだった木村剛さんに頼まれて日本振興銀行(後に破綻)の社外役員になっていたんですが、ちょうどそのころ、振興銀行が不祥事やトラブルで存続の危機に立たされていた。創業者の木村さんや社長は2010年7月に逮捕(共に有罪確定)されてしまい、ほかに社長をやる人がいないから、どうしようもなくて、私が社長に就きました。憂鬱な時期だったんです。

江上剛(えがみ・ごう)●1954年生まれ。作家。早大政経学部卒、旧第一勧業銀行に勤務。2002年に『非常銀行』で作家デビュー。10年の日本振興銀行の破綻に際しては、社長として混乱の収拾にあたった。ビジネス小説、ビジネス書で多数の著書。

でも走ってみるといろいろな発見がありました。早朝、近所の人たちと一緒に走るわけですが、そのおしゃべりを聞いていると、それぞれ悩みがあるのです。家族の病気であったり、子どもさんに障害があったり、嫁姑の家庭問題であったりです。

私は仲間のおしゃべりを聞きながら、「自分だけが特別大変じゃないんだ」「みんな大変なんだ」と実感できた。でも、みんなこうして健気に元気に、明るく生きている。「おい、そう深刻ぶるな、お前だけがなやんでいるんじゃない」と自ら励ますことができました。

どんなに仕事が大変なときでも、走ることはやめなかったんです。記者会見で頭を下げた翌日も翌々日も、短パンにランニング姿で、ランニング仲間が集まるところに出掛けていった。

うれしかったのは、あれだけ世間を騒がせているのに、誰一人として批難がましい顔もしないで、いつもの調子で「おはようございます」と応じてくれたことです。興味はあるのだろうけど、誰も聞かない。静かで優しさに満ちた無視で、本当にありがたいと感じましたね。ですから、僕は走ることで、救われたところがあるんです。

「苦しい」が生きている実感を得られる

――辰濃さんもご苦労があったんですよね?

辰濃:朝日新聞社を退社したのが、2004年8月。その前年に、ある私立大学の研究費流用事件を取材していて、専門的な事柄があるため、信頼する取材関係者に録音したMD(ミニディスク)を渡したら、どういうわけかその内容が怪文書になって流されてしまいました。最終的な責任は私にあるので、責任を取って会社を辞めましたが、抗弁することのむなしさを知っていましたから、誰に何を聞かれても、じっと耐えるしかなかった。精神的に追い込まれていたんでしょうね。

これからの生活をどうするということを含めて、不安でした。ちょうど退社したころ、アテネオリンピックが開催されていましてね。自宅にこもって女子マラソンで野口みずき選手が優勝したのをテレビで見て、ボロボロと涙がこぼれたことを思い出します。あのときは、本当に辛かった。様々な裏切りを経験しただけでなく、自分自身が「ダメな人間」とレッテルを貼られたようで、押しつぶされるような感覚がありました。

そのころは、ほとんど走っていませんでしたが、その年の年末か年明けくらいでした。何か一歩を踏み出したかったのでしょうね。自宅裏に公園があるのですが、ゆっくりと走ったんですよ。走っていると、苦しい。それが生きている実感として跳ね返ってくる。裏切られたことも、どうでもいいように思えてくる。許せるんですよ。胸を張って、前を向いてさえいれば、何とかなるような気がしてくるから不思議でした。江上さんの書かれた本にもあったけど、「もう少し進めば、ゴールがそこにあるんだ」という気持ちになれたのが大きかった。いま振り返っても、走ることで救われた。最悪の事態を招かなくて済んだと思います。

どんどん頭が整理されてくる

江上:いま辰濃さんが言ったことわかるな。近所の仲間たちと走って、いろんな愚痴やおしゃべりを聞いている。親しくなってくると僕も冗談を言い合う。そんなことをしていると、自分の悩みが相対化されてしまう効用がありましたね。

一緒に走ることは楽しいのだけど、今は1人で走ることも多い。1人で走ることを僕は「走る禅」って言っているけど、自分で向き合う感じがあるんですよね。僕は座禅の経験があるからわかるんだけど、最初は雑念がいっぱいある。「どうして俺がこんな目に遭うんだ」とか「何であいつはわかってくれないんだ」とか、仕事の悩みなんか出てくる。それが走っていると、禅的な無我の境地になってくる。脳が「しんしん(深々)」としてくるというのかな。どんどん頭が整理されてくる感じがする。

辰濃:走ることは自分に負荷をかけることですよね。その負荷に耐えているじゃないかと、心の中のマイナス部分を打ち消すことができる。優越感を持てるというか、自ら鼓舞されてくる。つまり心理的な障害を越えて、一歩踏み出している自分を確認できるわけです。そうすると、すべてを許せる感じになっていく。小さいことはどうでもよくなって、気持ちが大きくなる。

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