フィリピン大統領の故郷に中国領事館がある理由 マルコス大統領一家の故郷・北イロコスの現在

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バタック町境のゲートには「Home of Great Leaders(偉大な指導者の里)」との文字が刻まれている。複数形なのはシニア氏だけではなくマルコス家の人々を指すからだという。

バタック町境のゲート「偉大な指導者の里」と表示されている(写真・柴田直治)

中心部にあった「イメルダ文化センター」には、現在市役所などが入居している。代わりに幹線道路沿いに「イロカンディア文化センター」が建設中だ。イメルダ氏が大統領夫人として権勢を誇っていたころ、マニラ湾岸に建てたフィリピン文化センターと似た建築物だ。

バタックにはもう1つ、マルコス家にまつわる施設がある。「北のマラカニアン宮殿(Malacañán of the North)」だ。マニラにある大統領府の名を冠した2階建ては、木材をふんだんに使った瀟洒なつくりだ。湖に面し、森に囲まれたゴルフ場も設けられている。

シニアの大統領在任中の1977年にマルコス家が建設し、酷暑の時期に避暑地として一家が滞在し、閣議も催された。「ピープルパワー革命」によって一家がハワイに追放された1986年、コラソン・アキノ政権によって接収されたが、2010年から北イロコス州の管轄になった。

北のマラカニアン宮殿

「大統領センター」の展示はシニアが大統領に就任するまでの個人史の紹介だが、「北のマラカニアン」には大統領時代の業績が展示されている。目に留まったのは「We Shall Make This Nation Great Again(われわれはこの国を再び偉大にする)」と大きく書かれたパネル。シニアが1965年12月30日、大統領に就任した際の演説の決め台詞だ。スペインからの独立を宣言した先人らの行動をGreatと称え、それを再びという国民への呼びかけだった。トランプ前アメリカ大統領の「Make Amarica Great Again」と響きあうフレーズである。

本家を模した瀟洒な「北のマラカニアン」(写真・柴田直治)

若きボンボン氏が使ったとされるベッドなども写真とともに展示されている。シニアは1917年9月11日、バタックに近い町サラットで生まれ8歳まで過ごした。生家にも記念館が設置され、勉強に励む若き日の像などが展示されている。

予想通りとはいえ、こうした多くの施設類の展示にはシニアやマルコス家の陰の部分はまったく紹介されていない。戒厳令下の人権侵害や不正蓄財、大統領在任期間中に大きく傾いた経済、1983年のニノイ・アキノ元上院議員暗殺事件やその後盛り上がった反マルコス運動、ピープルパワー革命などについての記載は一切ない。

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