(第55回)右と左の話(その1)

山崎光夫

 ときおり、腕時計を右手に外出することがある。当たり前をちょっとひねってみる。それだけで、さしたる目的はない。
 だが、これを漢方に詳しい医者に話したところ、
 「それはいい。よいところに目をつけた」
 となぜか感心されてしまった。

 漢方医学では、患者の脈を診る「脈診(みゃくしん)」を診察の一環として重視する。患者の手首の撓骨動脈(とうこつどうみゃく)の搏動(はくどう)を診る。一般の医者や看護師が患者の脈を測る手首の箇所である。

 漢方医の「脈診」では、人さし指、中指、薬指の三本の指を使って体調を読み取る。これを「寸口(すんこう)」という。
「寸口」では、医者は左手で患者の左手を診、右手で患者の右手を診る。しかもそれぞれの手から得られる情報は違うという。深遠な技法である。
 通常は左腕にはめている時計やブレスレットなどを、右腕に移せば刺激する場所も変わり、体全体のバランスをはかるうえで効果が期待されるという。

 その漢方医学の発想では、大きくとらえて体の左側は「血」が関与し、右側は「気」に属しているという。
 たとえば、同じ肩こりでも、左右でこり方が違う場合、その主な原因も異なると考えられる。
 左側が強くこる場合、血液が関与している。
 血液が問題にされる場合、漢方ではその原因を瘀血(おけつ)に見る。瘀血は簡単にいえば、血液のドロドロ状態。血液の循環不全を来たして病気を招く。
 右側の肩こりでは、「気」が作用していると考えられるので、過重なストレスがあると右側がこりがちになりそうだ。
 大ざっぱな分類で、必ずしも公式どおりではないものの参考になる。

 右脳と左脳の働きの違いはよくいわれるところ。右脳は想像力、感覚などをつかさどるアナログ脳。一方、左脳は論理力、計算、筆記などをつかさどるデジタル脳といわれる。
 私の同業者は、アイデアやイメージを豊かにするため、右脳を刺激しようと、左目だけで物を見る時間を作ったという。
 あるとき、
「電車内ではしないほうがよい」
 と言ったものだ。正面にいる人にウインクしているように映って不審者扱いされる。
 その同業者がその後、“左目使い”で名作をものにしたという話を聞かないので、彼の右脳作戦はさして効果はなかったと思われる。

 私は一時期、麺もののそばやラーメンを利き手とは逆の左手で食べてみたことがある。
 3週間ほどでかなり上達する。
 これはあるベテラン脳外科医から、若い医者に課す訓練の話を聞いたことによる。
 細かい作業を強いられる脳外科医の場合、手先の訓練は重要だった。そこで、利き手とは逆の手で豆腐を食べさせる。やわらかい冷奴や湯豆腐を壊すことなく、自由に食べられるようになれば合格とした。

 私は“左手ラーメン”で脳外科医並みに少しは器用度が増したかもしれない。だが、右脳への効果はなく、「優れた想像力の喚起」にはほとんど関与しなかった。もし、“左手ラーメン”が効果を発揮するとしたら、それは私が右半身不随に陥ったときだろう。いつでも左手で食べる自信はある。
山崎光夫(やまざき・みつお)
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』『二つの星 横井玉子と佐藤志津』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。
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