人生は予測不能!映画「囚人たちの大舞台」の挑戦 刑務所の囚人が「ゴドーを待ちながら」上演で成功

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本作の主人公エチエンヌは、決して順風満帆な人生を送ってきたとは言いがたい、崖っぷちの役者。刑務所から、芝居のワークショップを依頼された彼は、囚人たちに難解な不条理劇として知られる「ゴドーを待ちながら」を演じさせることを思いつく。映画では、彼らのがんじがらめとなっていたエネルギーが、芝居によってどんどん解放されるさまがユーモラスに描かれる。

実話でも上演した作品はサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」だった ©︎2020 – AGAT Films & Cie – Les Productions du Ch’timi / ReallyLikeFilms

ちなみに「ゴドーを待ちながら」は、20世紀を代表するアイルランドの劇作家でノーベル賞作家でもあるサミュエル・ベケットの不朽の名作だ。ホームレスのウラジーミルとエストラゴンという二人の登場人物が、田舎の道で、決してやってこない救済者のゴドーを待ちながら暇つぶしに興じ、そこにさまざまな人物がやってくるさまを描き出す。

ゴドーは“ゴッド(神)”をもじっているのではないかなど、その戯曲は多様な解釈が可能で、1953年の初演以来、世界各国で数多くの演劇人たちが独自の解釈で上演してきた。また先日、アカデミー賞の国際長編部門賞を獲得した濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』で、主人公が上演していた舞台としても記憶に新しい。

そんな傑作舞台を囚人たちの演目にしたい。移民や難民、家族やトラウマなど、さまざまなバックボーンを持つ囚人たちの姿に、プロの役者にはない荒削りなリアルさを感じたエチエンヌは、刑務所の中で待ち続ける彼らの境遇を「ゴドーを待ちながら」に重ね合わせていた。一方の囚人たちは、いきなりの話に警戒心を抱きつつも、時を経るにしたがって、情熱をもって指導するエチエンヌに感化され、次第に演劇の魅力に取りつかれるようになる。

そして彼の情熱が実を結び、刑務所の外で行われる一日限りの公演がついに実現。そのバックヤードでは「セリフを忘れた」「やっぱり出たくない」などなど、ドタバタ続きだったが、その破天荒な魅力が観客、評論家たちの心をグッとつかみ、「うちにも来てほしい」とオファーが殺到。その結果として再演に再演を重ねる大成功を収める。

旅の日々は、外の空気に触れて芝居の高揚感に酔いしれる反面、刑務所に戻れば、囚人としての務めを果たさなくてはならない。そんな状況にフラストレーションがたまっていく囚人たち。だがそんな彼らのもとに、フランス随一の大劇場・パリ・オデオン座から最終公演のオファーが舞い込んでくる。はたして彼らはオデオン座で喝采(アプローズ)を受けることができるのか――。

実際の刑務所で撮影

本作のメガホンをとったフランス人監督のエマニュエル・クールコルは、スウェーデンの刑務所の受刑者たちが「ゴドーを待ちながら」を上演するという、本作のモデルとなった物語を聞いた際に、感情的、喜劇的、劇的な可能性を感じ取ったという。

そしてそのアプローチとして「たとえ暗い現実を扱ったとしても、絶望的な映画を作りたくはなかった。人間的な要素がある限り、ひと筋の光は必ずある」という人生観をベースに、物語を組み立てていった。さらに撮影は、実際の刑務所で実施。管理者や職員たちも非常に協力的で、実際の囚人たちからも喝采(アプローズ)を浴びることとなった。

本作のキャッチコピーは「圧巻のラストに、あなたは言葉を失う!」というもの。物語の核心に迫るため、クライマックスの詳細には触れられないが、晩年のベケットは、本作のモデルとなったスウェーデンの俳優ヤン・ヨンソンから、本作のモチーフとなったできごとの顛末を聞いて大いに喜んだという。人生は予測不能であり、だからこそ悲劇にも喜劇にもなる。それはまさに「ゴドーを待ちながら」に通じるものがありそうだ。

壬生 智裕 映画ライター

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みぶ ともひろ / Tomohiro Mibu

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。近年は年間400本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、とくに国内映画祭、映画館などがライフワーク。ライターのほかに編集者としても活動しており、映画祭パンフレット、3D撮影現場のヒアリング本、フィルムアーカイブなどの書籍も手がける。

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