「日本で一番火星に近い男」、宇宙への道程 NASA基準をクリアする日本人(下)

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もともとハワイの実験に興味を持っていた村上は、もしハワイの最終選考に通ったら、北極圏での実験に選ばれてもハワイを選択しようと考えていた。しかし、今回の2週間の選考を経て気持ちが揺れ始めているそうだ。

「これまでデヴォン島にある基地で越冬した人はいないので、主催者にとっても、僕らにとっても未知の領域になるのですが、まだまだ準備が足りないという印象があって、普通にやったら失敗する確率が高い。北極での失敗は危険なので、南極で越冬経験のある僕みたいな人間が必要だろうという実感があります。恐らく、Crew144から2人、3人が選ばれると思うんですが、それぞれの性格はなんとなくわかるし、長いスパンになった時に苦労しそうなこともわかる。その場にいれば僕にサポートできることがいっぱいあると思うんです」

「すごく良いチームでした。毎日変化の連続で、新しいことだらけだった」と最終選考を振り返る村上。Crew144のチームが解散するとき、村上は涙した(提供:村上祐資)

南極観測は日本の国家プロジェクトで、万全の態勢で実施されている。それでも南極は人間の努力や抵抗を一瞬で吹き飛ばし、長期間に及ぶ閉鎖空間での生活や自然環境のめまぐるしい変化は身心にダメージを与える。それを痛いほど体感している村上は、未体験ながらも北極での過酷な1年を想像することができる。

だからこそ、不安が残るプロジェクトに参加するCrew144の仲間をサポートしなければ、という気持ちが強まっているのだ。この思いは、「火星に行かなければいけないんじゃないか」という言葉に通じている。

「今回、最終選考を受けてすごく新鮮だったのは、みんなが本当に火星に行けると信じていることです。宇宙開発って、彼らのように一直線に突っ走れる強さが物事を動かしていると思うんですけど、そういう人たちは視野が狭くなって見落としていることもたくさんある。最終選考でそれを実感しましたし、そこに気づくことができるのが僕だと思うんです。

僕みたいな人間が6人いたらそれはそれで良くなくてバランスが必要なのですが、火星に行きたいという人たちに突っ走るタイプは揃っているので、選考側が求めている基準と一致しているかわからないけど、僕みたいな人が絶対にいた方がいいんじゃないかなと思うし、むしろ行かなきゃいけないかなと思い始めています」

次に見据えているのは、2度目の南極

「MA365」までの5年間、楽しみつつサポートしチームメイトに認められた経験が、2度目の南極を見据える気持ちにつながった(写真:村上祐資)

人類が火星に到達するのは、早くて2026年と言われているそうだ。11年後、村上は46歳になっているが、年齢をハンディだとは思っていない。村上はもともと50歳で月に立つことを目標として見据えていた。月より遠い火星では少なくとも数年間、定住して生活しなくてはいけないということを考えれば、若者だけではなく、経験豊かな世代も必ず必要になるからだ。

村上がやるべきことは、火星との距離が近づく10年先、20年先に向けて、さらなる鍛錬を積むこと。「宇宙に関しては、いい年の重ね方をしている」と手応えを感じている村上が次に見据えているのは、2度目の南極だ。

「南極で『お前はもう1回行くやつだから』と言われたのに、まだそのタスキをつないでいないんですよ。これまでは、越冬経験者としての役割が自分に果たせるのか不安があったのですが、最終選考でチームメイトから認めてもらったことで、この5年間やってきたことは間違いじゃなかったと実感しました。南極では楽しめなかったけど、今回は楽しみつつサポート役をできた。それが5年間でいちばん成長できたことかもしれません。今ならもう1回、南極に行ってようやく恩返しができる、初めて越冬するひとたちをサポートができるという気持ちになっています」

村上にインタビューした1月某日、あるNASAの職員から村上にメールが届いた。

NASAは以前から惑星探査基地を試作しており、今年から参加者を募って居住性の実験を始める。職員はその基地の担当者で、メールはハワイの火星基地居住実験「HI-SEAS」のファイナリストに対して実験参加に興味がないか問い合わせる内容だった。

そこで村上が「関心あり」と返したところ、改めて送られてきた担当者からのメールにはこう記されていた。

「今年の実験はアメリカの永住権を持っている人を対象に行うが、あなたのキャリアはとても関心がある。来年はよりオープンに実施するので、ぜひ参加してほしい」

これはNASAからの正式なオファーではないが、火星というキーワードでNASAと村上がつながった瞬間だった。

火星の平均気温はマイナス55度前後。その名称から燃え盛る惑星というイメージを持つ人もいるかもしれないが、南極と同等かそれ以上の酷寒だ。人類が経験したことのない寒さの中で数年間も生活することを考えれば、これまでの宇宙飛行士に求められる能力と異なることがわかるだろう。

南極での越冬経験だけでなく、極地における人間の生活の知識、遠征隊のリーダーとして基地の外で活動するノウハウを持つ村上の存在は世界でもまれであり、村上が2度目の南極を経験すれば、その評価はさらに高まるのは確実だ。

村上はいま、日本人の誰よりも火星の近くにいる。 

=敬称略=

川内 イオ フリーライター

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かわうち いお / Io Kawauchi

1979年生まれ、千葉県出身。広告代理店勤務を経て2003年よりフリーライターとして活動開始。2006年夏、バルセロナに移住し、スペインサッカーを中心に各種媒体に寄稿。2010年夏に帰国後は、編集者としてデジタルサッカー誌編集部、ビジネス誌編集部で勤務。2013年6月より、フリーランスのエディター&ライター&イベントコーディネーターとして活動中。スポーツ、旅、ビジネスの分野で輝く才能やアイデアを追って各地を巡る。

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