神山くん(仮名)は医者の息子です。猛烈な教育ママの先導もむなしく中学受験に失敗しました。その後、神山くんは高校受験にも「失敗」し、医師にはなれませんでした。神山くんは医師には向いていなかったけれど努力家でしたので、きっと何かで身を立てたはずなのに、何が何でも医者にさせようとした母親のミスリードで、何にもなれなかったともっぱらの評判です。
今回は極端なお2人を紹介しました。特にお子さんの能力差や向き不向きの問題も考慮に入れるべきでしょうが、ここでもうひとつ顕著な違いがあります。前者は子どもが自覚と責任をもって勉強していて、親はあくまで生活面のサポートだけで、後者は親が欲張りすぎて、あるいは子どもの希望や特性を無視してリードし、子どもがついていけなかった点です。
親の固定観念が子どもを追い詰める
三井田様、お嬢さまは吹奏楽を頑張っておられ、それを伸ばしてあげたくて選択した中学受験だったのですね。ここでちょっと横着なアドバイスに聞こえるかもしれませんが、もう少し親のほうが肩の力を抜いてお嬢さまと接するように、ギアチェンジされることをお勧めします。
小学生時代の「将来の希望」は、これから何度も変わる可能性があります。早期教育がモノをいう音楽家や、フィギュアスケーターなどのような専門を除き、夢がころころ変わること自体は、不自然なことではありません。
子どもさんによっては、力をいちばん発揮する時期が異なるものですので、断定する必要は全く無意味です。しかし、親の目から見て「成績が長けているほうではない」お嬢さまを、「将来の夢に向かって」何が何でも「勉強ができる高校に」と親子で目標を定めるのは、あまり賛成できません。
文部科学省の諮問機関である中央教育審議会が最近示した方向性をみますと、お嬢さまが大学受験される頃には、今よりもっと暗記重点でない、記述式の力が問われることになっていそうです。記述式といえど、今問われている基礎学力が大切なのはいうまでもありません。受験科目一辺倒でない幅広い経験や学び、そして何が得意かなどを見極めることが、「勉強ができる」という内容としてますます重要になってきそうです。
そして昨今の人気のある大学を見ていますと、必ずしも偏差値の高い順番ではなくて、成熟した社会特有の多様な価値観や、子どもたちのさまざまな夢や希望の実現に沿ったカリキュラムや施設の充実などが反映されたものになってきています。
志望校を定めて勉強することは必要ですが、どうしてもここでなくてはダメという悲壮感を持って定めたり、わらにもすがる気持ちで親がうろたえるのは、お嬢さまにとってよくありません。夢や学校の選択肢が、これからはもっとバラエティに富んでいくことを視野に入れて、志望校の選択肢も親の姿勢として広げておくほうが現実的です。
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