「戦争の正義」から考える近代西洋的価値観の限界 「次なる100年」は「資本」から「芸術」が中心へ

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水野:「生存権拡大」の考え方は、必然的に「過剰・飽満・過多」に至ると思います。人間は為政者であろうと、普通の市民であろうと心配症です。旧ソ連の共和国や衛星国は心配でしょうがないので、すでにNATOに加盟し、あるいは将来加盟したいと願っています。一方、プーチンはNATOの東方拡大をロシアにとって脅威だと心配しています。

スーザン・ソンタグの『火山に恋して』の中に、ティーカップの蒐集家を馬鹿にする一節があります。あなたたちは紅茶のティーカップを一生懸命集めているけれども、なんのために集めているのか。1つはお客さんが来て割ってしまうかもしれない。それでも2つあれば十分ではないかと言うと、いや、その1つも泥棒に盗られるかもしれないから3つ必要だとか言って、どんどんその数を増やしていこうとする。

この話のように、近代ヨーロッパのエリートたちは、みな蒐集家になって絵画や美術品などをコレクションしてきました。日本ではもう切手の蒐集家は少なくなったと思いますが(笑)、ヨーロッパでは、エリートも国家も、資本や土地を蒐集し増やしていく。

そして、彼らのほとんどは「足るを知る」ということがないので、やがて過剰・飽満・過多の問題を引き起こすのです。アレキサンダー大王に対する盗賊の問いから、もう2000年以上経っているのに、いまだに答えを出せていないわけですね。

フェイクニュースの時代の戦争

木村:「錦の御旗」というときに、主導権を握るのはたいてい攻める側で、攻撃や侵攻を受ける民衆側の正義というのはなかなか立てにくいという問題があります。一方的で恣意的、不正確きわまりない「大本営情報」が拡散し、正義という信仰をつくりあげていく、新たな民族の物語(ナラティブ)を創成していく危険は、いままさに、私たちが目撃していることです。

木村伊量(きむら ただかず)/元朝日新聞社社長、国際医療福祉大学評議員。1953年、香川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社入社。政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年、朝日新聞社代表取締役社長に就任。2016年、英セインズベリー日本藝術研究所シニアフェロー。現在、国際医療福祉大学評議員・大学院特任教授。著書に『私たちはどこから来たのか 私たちは何者か 私たちはどこへ行くのか:三酔人文明究極問答』(ミネルヴァ書房)がある(撮影:尾形文繫)

今回のウクライナ侵攻においても、冒頭で触れたように、「ネオナチ化を阻止する」といった大義を掲げて戦っている。こうした大義はもちろんフェイク以外の何ものでもないのですけれども、このフェイクを疑うことなく、NATOにも脅威を感じて、プーチンを支持するロシア国民が8割に達していることをどう見るか。「大本営発表」を信じる多くのロシア国民には、ウクライナでの痛ましい惨状は目に入らない。21世紀の正義をめぐる極めて困難な問題と言えるでしょう。

まさにトランプ時代に議論を呼んだ「フェイクを言い続けると真実になる」「新しい、オルタナティブ正義になっていく」という問題がロシアで起こっている。

水野:私たちは、真実を知ることができれば、理性や道徳心から「正しい判断」ができると信じてきましたが、その真実が真実かどうか疑わしいとなると、いろいろな意味で影響が大きくなるでしょうね。

木村:そうですね。こうした危機の原点は、1990年代初頭の湾岸戦争にあって、私はあの戦争が一種の情感操作、フェイクニュースの始まりだったと思っています。湾岸戦争で敗北したのは、イラクとともに世界のメディアでした。

「砂漠の嵐」作戦と名づけられた多国籍軍の攻撃で、米軍のトマホーク・ミサイルがイラク軍の戦車や基地をピンポイントで破壊する様子が、なにかテレビゲームを見ているような感覚で世界に流される。「われわれは血を流さない戦争をやっています。民間人に危害を加えないクリーンな戦争をやっています」。米中央軍司令官のシュワルツコフ将軍らブッシュ米政権の情報操作のプロ「スピン・マイスター」たちは、むごたらしい戦争犠牲者をお茶の間の人々の目から遠ざけることの戦略的重要性に初めて気づいたのです。

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