フランス式「言論の自由」は、普遍的ではない パリ政治学院教授に聞く「文化と歴史」

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自分の国で拒絶されたと感じるので、もう1つのパスポートのほうに自分が近いと感じる。つまり、アルジェリアであったり、モロッコであったり、チュニジアであったりする。そこで、それぞれのコミュニティがフランス内にできてゆく。

何十年も前に来たほかの移民たち、例えばイタリア人、ポルトガル人、スペイン人などはフランス社会に十分に融合している。ところがムスリムたちはそうではなかった。文化的ギャップがはるかに大きく、かつ元の植民地国から来た人だった。彼らの唯一の文化的つながりはムスリムであることだ。

英語圏の人は無礼なことはしない

こういう人たちにとって、ムハンマドの絵は大きな侮辱だ。英語圏の人はやらない。無礼だからだ。規制されているからやらないのではない。無礼だからそうしない。

フランスでは、このような表現が言論の自由の核になる。しかし、真の意味の言論の自由ではない。言ってはいけないことがたくさんあるからだ。フランス人は言葉遊びが上手だ。ある言葉を拾い上げ、人々の心の中にあるその言葉の意味合いを変えてしまう。 

シャルリ・エブドの仮の編集室が置かれているリベラシオン紙のオフィスビル入り口には、犠牲者を追悼する花が飾られていた

──事件後、フランス社会は変わっていくだろうか。

変わらないだろう。白人市民の多くが「私はシャルリを支持する」と声を上げた。ムスリムの大部分はそう言っていない。風刺画がムハンマドを侮辱していると受け取るからだ。つまり社会の10%近くが「私はシャルリ」の全体に入っていない。

移民阻止を唱える極右の政党「国民戦線」は、11日の行進に参加しなかった。国民の25%がマリー・ルペン国民戦線党首を支持しているといわれている。全体で35%が「私はシャルリ」の行進に加わっていない。政治家は今回の事件でフランスに一体感が出たと主張しているが、長くは続かないと思う。

共和国の伝統・歴史に根差した言論の自由の権利をフランスのエスタブリッシュメントは絶対に手放さないだろう。それが実は「二重基準」であったとしても、たとえ少数派のムスリムたちが表現によって傷付いていたとしても、フランス人であれば、共和国の理念に倣うべきという信念は変わらない。もし揺らげば、共和国の概念そのものが崩壊してしまうからだ。

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