「レシピ本」に頼るとフードロスが出てしまう訳 「単純すぎる料理」ばかりにしたら起こった変化

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そう気づいたらですね、レシピ本、あるいはネットとか雑誌とかに載っている絶品レシピとか無限ナントカ等、すべてにまったく興味がなくなった。そもそもよく考えたらさ、絶品レシピの味って、結局「調味料の味」なんだよね。

それに対して、私は素材の味を食べているのである。調理法が2つであっても、素材が違えばできあがったものの味は千差万別。キュウリの味噌汁とじゃがいもの味噌汁とでは月とスッポンの差である。

つまりはですね、自分で小賢しい調味料の組み合わせなどせずとも、すべては「あるもの」(つまりは余った食材)があんじょうやってくれるのである。「ないもの」を探して買ってこなくても、「あるもの」がなんだかんだと丸く収めてくれるのである。

レシピ本をなくして得られたもの

その事実は、私の精神も大いに癒してくれた。実は、自分には足りないものなどないのかもしれない。才能もお金も人間関係も、きっと今「あるもの」で十分なのだ。その「あるもの」をよく見ること、大切にすること、とことん使い切ること、それさえできれば、もう人生は十二分に安泰じゃないのか。

っていうか「ないもの」ばっかりに目を奪われていると、「あるもの」を大切にしなくなる。だからわれらはいつまでも、ないものを買いまくり、お金が足りないと惨めに思い、人を羨み、人生に不安を募らせてしまうんじゃないのかね?

ってことで、レシピ本から思わぬ壮大な話になってしまった。でもこれは私の偽らざる本音である。私はレシピ本と縁を切ったことで、ゴミをなくし、生涯の安心を得たのである。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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