「わかる」と「納得する」には、大きな差がある 「生き物感覚」を失うことの恐ろしさ

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中村:公害病のひとつ水俣病は、工場が水銀を含んだ廃液を海に流したために起きたものです。海に流せば薄まるから大丈夫だろうと流したら、海には生き物がいたのです。プランクトンから魚へ、魚から人間へと濃縮され、病気になってしまった。海は単なる水ではなく、生き物のいる場だということを意識しなかったのです。技術にも生き物への眼が必要というのも、江上先生の生命科学の大事なところです。

このように米国と日本の生命科学は、人間を考えるようになったという点では一致していますが、誕生の経緯が違います。残念ながら、現在の生命科学は日本でも米国型になっています。

中村桂子(なかむら けいこ)●JT生命誌研究館 館長。東京都出身。理学博士。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993~2002年3月までJT生命誌研究館副館長を経て2002年4月から同館館長。

私は江上先生のおっしゃる生命科学がすばらしいと思い、研究していたのですが、その基本は機械論です。子育てをするなどの生活の中で、生きものを機械とみて、遺伝子に還元することに疑問が湧きました。

しかし、DNA研究は面白い。DNAから離れずにしかも機械論でない考え方を模索して悩みました。その時、人間の全塩基配列を調べようという「ヒトゲノム計画」がもちあがります。提唱者は米国の癌研究のリーダーです。癌を遺伝子から突き止めようとしたらとても複雑で、人間のDNAを全部調べる必要があると考えたのです。

ゲノムは、その中に歴史との関係を含むので、ここから考えればよいとは思ったのですが、考えを整理できずに悩みました。その中で、友人に相談している時、突然、「生命誌研究館」という言葉を思いつきました。そうしたらそれまでモヤモヤしていたものがぱっと整理できた。言葉ってすごいものですね。

「生命誌という知」を創り出すこととそれを研究するのは、研究所という閉じた場所ではなく研究館という開いた場所という考えです。それでここを1993年に開館しました。

JT生命誌研究館のホームページ
(画像をクリックするとジャンプします)

山折:なるほど。生命誌研究の「誌」という言葉、これをよく発見されたなと感心しました。人文学などの分野では、「民俗学」に対する「民俗誌」のようなかたちで、この字を使う場合があります。

客観的あるいは分析的な民俗学に対して、民俗誌はわれわれの暮らしの中でその問題を考えるという感覚ですね。うまい合成語をつくり出すなと思いました。

次ページ「史」や「学」ではなく、「誌」に込めた想い
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